近松門左衛門の本名は杉森信盛。近松巣林子など別称もある。
承応2年(1653)現在の福井県鯖江市で三百石取りの藩士の次男として生を受ける。12才頃までは越前に居たが、後に京都にのぼり20歳まで公家に仕えた。その後に作家となるまでの消息は不明。

近松門左衛門は72才で世を去るまでに、歌舞伎脚本30余編、時代浄瑠璃80編、世話浄瑠璃24編を著作した。日本最大の劇作家で「東洋のシェイクスピア」とも称される江戸時代の文豪です。

近松は初めは歌舞伎作者として歌舞伎戯曲の水準を高め、後により文学的な浄瑠璃に移り、歌舞伎で学んだ手法や現代性を浄瑠璃に持ち込んで、中世的な浄瑠璃を一変した近代戯曲を確立した。それが近松の功績である。
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