天台僧だった日蓮聖人
日蓮聖人は天台宗の僧侶であった。幼少期に勉学をして出家をした清澄寺も当時は天台宗であった。遊学をしたのも比叡山延暦寺の横川であった。日蓮聖人の教えは天台宗の教学を基盤としている。日蓮聖人の代表作である『立正安国論』には「天台沙門日蓮」とある。中国の隋の時代に天台宗を開いた智者大師智顗(天台大師 538-597)、唐の時代に天台宗を中興した妙楽大師湛然(711-782)。それらを日本にもたらした伝教大師最澄(767-822)。その天台宗の正統の流れに日蓮聖人の軸足がある。では、その天台宗の教えとは何なのか。
天台三大部
中国の隋の時代、智者大師智顗(天台大師)が講義したものを、章安尊者灌頂(560-632)が筆録した天台三大部が天台宗の根本となる典籍である。これらは法華三大部ともいわれ、『妙法蓮華経』をもとに説かれている。
『妙法蓮華経玄義』 (法華玄義)
『妙法蓮華経文句』 (法華文句)
『摩訶止観』
要するに、天台宗は本来法華経の宗旨である。日蓮聖人の軸足はこれら本来の天台教学にある。
ただし、法華経だけではない。法華経の梵本(サンスクリット原典 Saddharma-puṇḍarīka-sūtra)の漢訳たる『妙法蓮華経』は、中観思想の空の立場の鳩摩羅什によって翻訳がなされた。そして、中国の天台宗はインドの龍樹の『中論』の影響を色濃く反映している。『妙法蓮華経方便品第二』の十如是を三転読するのは、そのことに由来する。
比叡山が輩出した鎌倉祖師と日蓮聖人
一方で天台宗の比叡山で修行した同時代の有名な僧侶は、もちろん日蓮聖人だけではない。鎌倉時代になって、比叡山(天台宗)は各宗派祖師たちを輩出した。
浄土系
法然上人(1133-1212) 浄土宗
親鸞上人(1173-1262) 浄土真宗
禅系
栄西禅師(1141-1215) 臨済宗
道元禅師(1200-1253) 曹洞宗
これらの方々は後の日本に多大な足跡を残す祖師方である。しかし、その教義は天台宗の法華経をもととした教義ではなかった。天台宗本来の『法華経』ではなく、浄土三部経 (『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』)などを依経とした専修念仏、天台宗とは別に中国から新しく伝わった教外別伝・不立文字の禅の宗派であった。少なくとも、天台宗の奥義である一念三千を根本とする教義ではないといえるだろう。
他宗への批判
それに対して、天台宗の本質を受け継いだ日蓮聖人が、天台本来の法華経と一念三千の本質の立場から、それ以外の立場を選択した彼らを批判するのは至極当然のことである。日蓮聖人はそのような天台僧侶の一人であった。根拠のない批判は悪口であっても、仏教経典や天台宗教義を典拠とした批判は正当なものである。
また、日蓮聖人(1222-1282)は上記の鎌倉仏教の祖師よりも少し遅く誕生した。すでに念仏や禅の新興宗旨は民衆や武家に根強く支持されていた。そこに後から日蓮聖人の教えを浸透させるには、念仏や禅を批判することは避けて通れないことであった。
人は自ら信じる思想や信条をおいそれと棄却できるものではない。それを行わせるための批判というものは、えてして耳に逆らうものとなる。それだけでも反感は凄まじく、中世の日本では命がけの菩薩行であった。
佐渡島への流罪のときなど、日蓮聖人に共鳴した弟子ですら日蓮聖人の言動に疑問を投げかける者が表れ、檀信徒に至っては法難におののいて大多数が去ってしまうような状況があった。誠に大変な役回りをされたのである。