日蓮宗について
折伏の本来の意味の考察
折伏の本当の意味は?

ここでは、折伏を仏教の原典にたどり、その意味を検証しようと思う。

教団やそのカリスマの煽動によって、組織や個人のノルマのため、あるいは御利益のため、組織的に脅迫めいた迷惑な布教を繰り返して新たな信徒を獲得しようとする。あるいは組織からの脱会を阻止しようとする。 組織の批判者を尾行したり、嫌がらせをしたりする。

それが折伏だろうか。そもそも、それは仏教だろうか。何より日蓮聖人の教えだろうか。 しかし、彼らの活動から一般の人は折伏という言葉にそのようなイメージを持っていないだろうか?

法華経も日蓮聖人も嫌がらせをしなさいなど説いていない。むしろ、逆である。嫌がらせを堪え忍ぶことを法華経は説いたのであり、それを実践されたのが日蓮聖人なのである。法華経を 弘めようとしたときに予想される難儀が説かれたのが『妙法蓮華経勧持品第十三』であり、その偈頌に堪え忍ぶことが説かれている。

惡鬼入其身 罵詈毀辱我 我等敬信佛 當著忍辱鎧

悪鬼其の身に入って 我を罵詈毀辱せん 我等仏を敬信して 当に忍辱の鎧を著るべし 『妙法蓮華経勧持品第十三』

法華経を布教しようとすると、悪鬼が入ったような人々から、罵倒(ばとう)され辱(はずかし)めを受けるが、仏を敬い信じるが故にそれを忍ぶ。そのような意味である。

布教する相手を罵(のの)しったり辱めたりするのではない。
法華経を布教することによって、罵しられたり、侮辱されたりしても、そのことを堪え忍ぶことが法華行者にとって必要なのである。

日蓮聖人の折伏感

日蓮聖人の代表作(三大部)のひとつ『開目抄』に

無智悪人の国土に充満の時は摂受を前きとす。安楽行品のごとし。邪智謗法の者の多き時は折伏を前きとす。常不軽品のごとし。

とある。
折伏が常不軽品の如しというところに注目して戴きたい。常不軽品とは『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』のことである。それは、常不軽という僧侶の物語である。

是比丘凡有所見。若比丘比丘尼優婆塞優婆夷。皆悉禮拜讚歎。而作是言。我深敬汝等不敢輕慢。所以者何。汝等皆行菩薩道當得作佛。而是比丘。不專讀誦經典。但行禮拜。

是の比丘凡そ見る所ある若しは比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷を皆悉く礼拝讃歎して、是の言を作さく、我深く汝等を敬う、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べしと。而も是の比丘、専らに経典を読誦せずして、但礼拝を行ず。 『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』

常不軽という僧侶(比丘)は、僧侶や在俗の男女に対して礼拝して「私はあなた方を深く敬います。皆さんは菩薩行をすると成仏するからです」と言って回った。この僧侶は経典を読まずに、ただこの礼拝の行をした。

如此經歴多年常被罵詈。不生瞋恚常作是言。汝當作佛。説是語時。衆人或以杖木瓦石而打擲之。避走遠住。猶高聲唱言。我不敢輕於汝等。汝等皆當作佛。

此の如く多年を経歴して、常に罵詈せらるれども瞋恚を生ぜずして、常に是の言を作す、汝当に作仏すべしと。
是の語を説く時、衆人或は杖木・瓦石を以て之を打擲すれば、避け走り遠く住して、猶お高声に唱えて言わく、我敢て汝等を軽しめず、汝等皆当に作仏すべしと。 『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』

この礼拝行(但行礼拝 )によって、長年にわたり常にののしられ、棒で打たれ、石を投げられても、怒りの心を起こさず礼拝行を続けた。この礼拝行の末に、常不軽は成仏し、常不軽を迫害した僧侶や在俗は迫害による罪障で一旦は苦しむが、常不軽のお陰で『法華経』に縁を持つことができて後生の助けとなった。

日蓮聖人の「折伏を前きとす。常不軽品のごとし」とある常不軽の修行は、やはり、布教する相手を罵倒したり辱めたりするのではない。法華経を布教することによって、ののしられたり、侮辱されたりしても、そのことを堪え忍び布教することを説いているのである。

破折調伏?

こういうことを主張すると、折伏とは破折調伏あるいは折破摧伏(しゃくはさいぶく)である。そのように反論する方がおられるだろう。しかし、この破折調伏や折破摧伏を「大正新脩大藏經」、天台典籍、日蓮聖人御遺文に全文検索をかけたがヒットしなかった。※つまり、折伏とは破折調伏(折破摧伏)なりという説明は 経典、天台大師、伝教大師、日蓮聖人のものでないと考えられる。

※全文検索の対象テキストはAPP処理がされており、単語の途中で改行されることはない。検索対象はCBATAから入手した「大正新脩大藏經」巻1-55、78-87、85、天台電子佛典CD2(天台宗典編纂所)、日蓮聖人遺文(行道文庫版)である。

経典にある折伏

『妙法蓮華経』には折伏という文字は出現しない。折伏の本来の意味を考えるため、その他の仏典にみる折伏を調べた。

「大正新脩大藏經」に「折伏」を検索すると、阿含部(小乗仏教)を7ヶ所を含めて、

経蔵  80ヶ所 (巻1~21)
律蔵 298ヶ所 (巻22~24)
論蔵 445ヶ所 (巻25~55)

のヒットがあった。このことから、折伏は日蓮仏教の特異な仏教用語ではなく、仏教一般の用語であることがわかるだろう。

折伏の典拠

折伏の典拠は下記の二経一論とされる

『勝鬘師子吼一乘大方便方廣經 十受章第二』(勝鬘経)

我得力時。於彼彼處見此衆生。,應折伏者而折伏之。應攝受者而攝受之。何以故。以折伏攝受故令法久住。
我れ力を得ん時、彼々の処に於て此の衆生を見ば、応に折伏すべき者は之を折伏し、応に摂受すべき者は之を摂受せん。何を以ての故に、折伏摂受を以ての故に法をして久しく住せしむ。

大正新脩大藏經 巻12 P217 c

『大毘盧遮那成佛神變加持經 受方便學處品第十八』(大日経)

復次祕密主。菩薩受持不麁惡罵戒。應當以柔軟心語。随類言辭。攝受諸衆生等。(中略)或餘菩薩見住惡趣因者。爲折伏之。而現麁語。
復た次に秘密主、菩薩不麁悪罵戒を受持して、当に柔軟の心語随類言辞を以て諸の衆生等を摂受すべし。(中略)或は余の菩薩の悪趣の因に住する者を見ば、之を折伏せんがために粗語を現ず。

大正新脩大藏經 巻18 P39 b

『瑜伽師地論 卷第二十八』 (瑜伽論)

復次大師於諸聲聞略有五種師所作事。一者正折伏。二者正攝受。三者正訶責。四者正説雜染。五者正説清淨。
復た次に大師は諸の声聞に於て略して五種の師所作の事あり。一には正折伏、二には正摂受、三には正呵責、四には正説雑染、五には正説清浄なり

大正新脩大藏經 巻30 P784 a

 『勝鬘経』には上記引用部分のみ、『大日経』には1ヶ所、『瑜伽論』に7ヶ所、「折伏」が出現する。『瑜伽論』については他の4ヶ所についても考察しなければならないが、ここでは省略する。

天台の折伏

天台大師智顗によって説かれる折伏は意外にも手厳しい。

『妙法蓮華經玄義』(法華玄義) 卷第九 上

法華折伏破權門理。,如金沙大河無復迴曲。涅槃攝受更許權門。
法華は折伏して権門の理を破す。(中略)涅槃は摂受して更に権門を許す。

大正新脩大藏經 巻33 P792 b

法華経は折伏によって法華経以外の(方便として説かれた)教えを破り、大乗涅槃経は摂受によって方便として説かれた教えを許容するという意味。 日蓮聖人は、この法華折伏破權門理を実践された方であった。

『摩訶止観』 卷第十 下

夫佛法兩説一攝二折。如安樂行不稱長短是攝義。大經執持刀杖乃至斬首是折義。雖與奪殊途倶令利益。若諸見流轉須斷令盡。若助練神明迴心入正皆可攝受。
夫れ仏法に両説あり、一には摂、二には折なり。安楽行の長短を称せざるが如きは是れ摂の義なり。大経の刀杖を執持し、乃至首を斬るは是れ折の義なり。与奪途を殊にすと雖も倶に利益せしむ。若し諸見流転せば、須く断じて尽さしむべし、若し神明を助練し、之を廻らして正に入らば皆摂受すべし。

大正新脩大藏經 巻46 P137

『妙法蓮華経安楽行品第十四』は摂受であり、『大般涅槃経』(曇無讖訳)の執持刀杖・斬首という経文は折伏の意味である。

ここで引用される『涅槃経』は、『法華経』の一仏乗や、久遠(常住)仏の思想を受け入れて、如来蔵思想によってそれを発展させた経典である。自らの大乗仏教を誹謗するものに対して厳しい姿勢が説かれる。それにしても、涅槃経の執持刀杖や斬首というのは物騒である。

涅槃経が成立したのは、西暦4世紀頃と仏教学者は考えている。その頃は、イスラム教(7世紀以後)による法難はないが、既に仏教が衰退しはじめており、何らかの法難があったのかも知れない。 不殺生を説く仏教としても武器をとって応戦せざるを得なかったのかも知れない。ふと考えたことであるが、日本の僧兵の教義的根拠はここにもあるのかも知れないが調べる時間がないし本題ではない。

日蓮聖人自身が折伏と称して執持刀杖や斬首ということに言及したものが『開目抄』末尾にある 。先述の「邪智謗法の者の多き時は折伏を前きとす。常不軽品のごとし。」の前にある。

執持刀杖

『大般涅槃経』(曇無讖訳・北本40巻)には「執持刀杖」が一ヶ所出現する。

善男子、過去之世に此の拘尸那城に於て仏の世に出でたまふこと有き。歓喜増益如来(中略)と号す。(中略)仏涅槃の後正法世に住すること無量億歳なり。余の四十年仏法の末、爾の時に一の持戒の比丘有り。名を覚徳と曰う。 (中略)爾の時に多く破戒の比丘有り。是の説を作すを聞き、皆悪心を生じ、刀杖を執持して是の法師を逼む。是の時の国王、名を有徳と曰う。是の事を聞き已って護法の為の故に、即便、説法者の所に往至して、是の破戒の諸の悪比丘と極めて共に戦闘す。爾の時に説法者厄害を免るることを得たり。王、爾の時に於て身に刀剣鉾槊之瘡を被り、体に完き処は芥子の如き計も無し。爾の時に覚徳尋いで王を讃て言く 善哉善哉。王、今真に是れ正法を護る者なり。当来之世に此の身当に無量の法器と為るべし。王是の時に於て法を聞くことを得已って心大いに歓喜し、尋いで即ち命終して阿・仏{あしゅくぶつ}の国に生ず。而も彼の仏の為に第一の弟子と作る。其の王の将従・人民・眷属戦闘すること有りし者、歓喜すること有りし者、一切菩提之心を退せず。命終して悉く阿・仏{あしゅくぶつ}の国に生ず。覚徳比丘却って後、寿終わりて亦阿・仏{あしゅくぶつ}の国に往生することを得。而も彼の仏の為に声聞衆の中の第二の弟子と作る。若し正法尽きんと欲すること有らん時、応当に是の如く受持し擁護すべし。迦葉、爾の時の王とは則ち我が身是れなり。説法の比丘は迦葉仏是れなり。迦葉、正法を護る者は是の如き等の無量の果報を得ん。是の因縁を以て、我今日に於て種種の相を得て以て自ら荘厳し、法身不可壊の身を成ず。仏、迦葉菩薩に告げたまわく。是の故に法を護らん優婆塞等は応に刀杖を執持して擁護すること是の如くなるべし。善男子、我涅槃の後、濁悪之世に国土荒乱し互いに相抄掠し人民飢餓せん。爾の時に多く飢餓の為の故に発心出家するもの有らん。是の如き之人を名づけて禿人と為す。是の禿人の輩、正法を護持するを見て、駈逐して出ださしめ、若しは殺し、若しは害せん。是の故に、我今持戒の人、諸の白衣の刀杖を持つ者に依て、以て伴侶と為すことを聴す。刀杖を持つと雖も、我是れ等を説きて名づけて持戒と曰はん。刀杖を持つと雖も応に命を断ずべから ず。

『大般涅槃經金剛身品第二』(大正新脩大藏經 巻12 P387 b)

さて、この経文を見れば、覚徳比丘が、刀杖を執持した法師に逼(せま)られた。それを有徳という国王が負傷しながらも武力で撃退したというもの。日蓮聖人でいえば小松原法難で似ている。

ようするに、こちらから刀や杖で法敵を懲らしめるのではなく、法敵からの武力に対して執持刀杖で応戦するこの肯定である。こちらから執持刀杖や類することでけしかけるのではない。しかも、「刀杖を持つと雖も応に命を断(だん)ずべからす」と釘を刺している。

※この経文は『立正安国論』にも引用されているが、折伏ではなく国主が謗法の者をいましめ、正法の者を重んじて天下泰平を期すべきことが説かれている。

斬首

『大般涅槃経』(曇無讖訳・北本40巻)には「斬首」が3ヶ所のみ出現する。以下の赤字部分がその全てである。何れも折伏のために首を斬れとは書いていない。

如佛言曰。離欲寂滅名曰涅槃。如人斬首則無有首。離欲寂滅亦復如是。 『大般涅槃経如来性品第四』(大正新脩大藏經 巻12 P387 b)

佛の言(みこと)に曰(のたま)へるが如きは、欲を離れ寂滅するを名けて涅槃と曰う。人の首を斬れば、則ち首有る無きが如し。離欲寂滅も亦復(またまた)是の如し。(国訳一切経96頁)

善男子。如彼燃木滅已有灰。煩惱滅已便有涅槃。壞衣斬首破瓶等喩亦復如是。如是等物各有名字。名曰壞衣斬首破瓶。 『大般涅槃経如来性品第四』(大正新脩大藏經 巻12 P387 c)

善男子。彼の木を燃し、滅し已(おわ)りて灰有る如く、煩惱滅っし已りて便(すなわ)ち涅槃有り。衣壞・斬首・破瓶等の喩も、亦復(またまた)是の如し。是の如き等(ら)の物に各(おのおの)名字有り。名づけて壞衣・斬首・破瓶と曰う。(国訳一切経96頁)

『摩訶止観』の「大経の刀杖を執持し、乃至首を斬るは是れ折の義なり」であるが、上述の如く刀や杖を持つなどして相手を逼迫しながら法を説けということではなかろう。暴力で逼迫されそうであっても、正しいことをあえて説き示す。そのような意味で折伏が語られているように思う。

日蓮聖人の辻説法は無かった?

辻説法は現在の街頭布教に相当する。鎌倉の辻に立ち他宗批判を繰り返したというイメージが現代人にはあるかも知れない。しかし、辻説法に相応する嶋説法の語が室町時代以前にはみられないそうだ。

僧侶の伝記絵巻などには屋内の説法の図は伝えられていても、屋外での説法の図は伝えられていないそうである。16世紀に作られた日蓮の伝絵にも屋外での説法図はないそうである。江戸時代末期の日蓮宗で 、五七調の繰り弁といわれる日蓮聖人伝が出現するが、ここに嶋説法(辻説法)のことがみえてくる。更に、明治時代に日蓮聖人独特の布教法として強調されるに至った。鎌倉市小町に日蓮聖人の辻説法の顕彰碑があるが、これは田中智学(1861‐1939)の建立である。恐らく日蓮聖人の辻説法はなかったのではないかと考えられるようになった。まして、街角で他宗批判の 街頭布教などなかったのではないかと考えられる。 (平凡社世界大百科事典第二版「辻説法」の項目を参照)

日蓮聖人が身に寸鉄を帯びて絶命することなく生涯を終えられたことは奇跡に等しい。日蓮聖人は仏典を根拠にして注意深く法を説かれた のではないだろうか。そして根拠ある主張や批判は説得力を持っていた。当時、既成の宗派の仏教指導者は日蓮聖人を法論で論破するすべは無かったと思われる。よって、武士の力をかりて日蓮聖人を弾圧した。日蓮聖人はそのことを予想していただろうし、それを よく耐えよく忍ばれた。それが本当の折伏ではないか?

 現代伝えられる日蓮聖人伝の戯曲は江戸時代のものだと聞き及ぶ。戯曲の台本は象徴的かつ大袈裟に表現をしてしまう。ここから、激しすぎる気性の日蓮聖人、悪口をいう日蓮聖人、挑発的な批判をする日蓮聖人の虚像ができあがったのではないか。近世はそれが受けたが、現代は逆に作用している。他宗や無神論者からはそれを逆手に取られてしまうし、日蓮系新興宗教が折伏と称してとんでもないことをした。

まとめ

ともかく、折伏は耳に逆らうことでも正しいことを主張し、それによって起きる災難をものともしないことではないか。

昨今は敵を作らないのが人格者だといわれる風潮がある。しかし、それは偽善的態度ではないだろうか。しっかりした根拠をもとに、論理だって考えておかしいことがあれば、どうだろう。反感をかってってでもそれを指摘するのと、制裁を恐れたり波風を立てないようにする態度と、どちらを選ぶかである。日蓮聖人は 迷わず前者を選んだ。

折伏とは、相手を脅迫することではない、嫌がらせをすることではない、集団で執拗な行為をすることではない、罵ったり辱めたりすることではない。むしろ逆で、それらを受けることを覚悟してでも正しいことを主張することである。そしてその原動力は、 名利(名聞や利養)を貪ることでもなく、御利益のためでもなく、反対勢力に対する怒りでもなく、教団のカリスマに洗脳・煽動される愚かさでもない。慈悲心ではないだろうか。