インド四大仏跡を巡る旅

〜 ラージギル 2/2 〜

 ビンビサーラ王と耆婆の遺跡 温泉精舎


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ジーヴァカ・アーラーマ 耆婆園 (耆婆所有のマンゴ園跡 マンゴ園にしては遺構がが多い)
ガイドには耆婆の病院と案内された 案内板や解説板はなかった
ビンビサーラ王が幽閉された遺跡 外枠だけである
中にはくぼみがあるだけ 浄土系の方にとっては大切な遺跡だろう
いざ温泉精舎へ 温泉精舎前の売店 客引きはない(笑)
山の中腹に第一結集(経典編纂会議)の七葉窟 温泉精舎へ渡る橋
この階段の右奥に温泉がある 写真に撮ると雲と建物が神々しく写った

眉間を赤く塗る塗料? 温泉の入り口
手と顔を洗うだけでも気持ち良かった 温泉精舎前
一番下のカーストの温泉だと案内された 再び露店前
繋がれていないのに10分以上じっとしていた牛 露天を観ているのも楽しい
ビンビサーラ王の供養塔跡
(手前の横長いものはイスラムの墓とか)
阿難尊者の供養塔
(現在は日本山の敷地内)
牛の大移動 法華ホテルの朝食 (完全な日本食)
インドとは思えない 法華ホテルの部屋 立派なホテルだった
ホテルの仏像
私は日月偈とお題目だけ唱えてきた
ラージギルの街にて
規模からして本当にマガダ国の首都だったのだろうか?

(C)2005 Eisai Ishibushi ALL RIGHTS RESERVED
DATA: Nikon D70 ,  AF-S DX Zoom Nikkor ED 12〜24mm F4G(IF),
AF-S DX Zoom Nikkor ED 18〜70mmF3.5-4.5G(IF) , Ai AF Zoom Nikkor ED 80〜200mm F2.8D
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【解説】

耆婆(ぎば)  Jivaka Komarabhacca

 ジーヴァカ・コーマーラバッチャ(小児を看るジーヴァカ)。タキシラ(パキスタン)で医術を学んだ名医。お釈迦様に篤く帰依した。

結集  samgiti

 「けつじゅう」と読む。原語 samgiti は「ともに歌うこと」。お釈迦様の滅後、弟子の僧侶が集まって、その教えの記憶をお互いに確認しながら聖典を編集した聖典編纂会議。それ以後、少なくとも400年以上その教えは文字にされず記憶暗唱で伝えられた。


【旅行記】

●2/18(金) つづき

耆婆園(ジーヴァカ園)

 登り口から、バスに乗って耆婆の病院跡と現地ガイドが説明する場所に行った。霊鷲山への道中にあり、かなり広い。帰国後どの文献を見ても耆婆の病院跡という標記はなかった。どうやら耆婆のマンゴ園だと思う。マンゴ園にしては建築物の遺跡らしいレンガがたくさんだった。霊鷲山への道中にある。かなり広い。

温泉精舎

 それから、温泉精舎に行った露店のある広場を通り抜け、橋を渡ったところに温泉がある。下から二番目の温泉に行った。金属製の壺にお湯を汲んでくれるおじさんが手を洗え、顔を洗えとお湯をくれる。それで手を洗ったが、手を洗うだけで本当に清々しいきぶんになった。気持ちよい。
 ただ、このおじさん・・・お金をよこせという。私たちのリーダーが既に全員分を払ったと英語で言ってもしつこく追いかけてくる。20〜30mついてきた諦めてくれた。
 そんなことはどうでも良い、できれば温泉に入りたかったし、第一結集(けつじゅう 経典編纂)が行われたという七葉窟まで行きたかった。次回に持ち越し。

ビンビサーラ王の供養塔跡

 また、ビンビサーラ王の供養塔跡に案内された。イスラムと思われる墓がその上に建っていた。近くには、阿難尊者の供養塔跡が日本山の敷地の中にある。

 遅い朝食を取り、ブッダガヤに向けて出発する。

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