カナディアン・ロッキー旅行記

番外編
etc...


 旅の総括


カナディアンロッキーとスイスアルプスの比較論

 数年前、アメリカのヨセミテ国立公園に行って感動した。カナディアンロッキーでもそれ以上の感動があると期待して旅にでた。ところが、もう一つ満足しきっていない。

 たしかに、アメリカより食べ物は美味しいし、ホテルでもレストランでも接客は丁寧だ。景色も雄大であり、観光施設も至れり尽くせり、自然保護も徹底されている。実際そのことは素晴らしいと思う。

 カナディアンロッキーに比してスイスアルプスは箱庭だ。そんなことを言った旅行通の御婦人がいた。その言葉が耳についていた。そのこともカナディアンロッキー旅行の動機のひとつである。しかし、結論としてスイスアルプスが箱庭に感じることはなかった。

 広々とした大地を走破して刻々と変化するロッキーの山々は、列車の旅をしたスイスアルプスのそれよりも雄大だったかも知れない。そして、エメラルド色の湖群。これも私はスイスで経験していない。

 ただ、次にスイスとカナディアンロッキーのどちらを再訪したいかといえば、スイスアルプスである。カナディアンロッキーの魅力は素晴らしい自然の中に開発されたリゾートであるが、たかだか百年の歴史である。ダイナミックな自然ではあっても、リゾートのために開発されたリゾート観光地である。どことなくわざとらしさのようなものがある。それに比してスイスアルプスは、景色もさることながら、その山岳には長い歴史と文化が培われてきた。そこがたまたま観光地となっているのである。私はそこに魅力を感じる。

 山の標高もスイスのマッターホルンの 4477m に比して、カナディアンロッキーの最高峰ロブソン山でも 3954m であり、ほとんどのカナディアンロッキーの高山は3000m前後である。標高はスイスアルプスに軍配が上がる。また、3000m級の山々だったら日本のアルプスにもある。山に限れば、カラコルム山脈、ヒマラヤ山脈にも魅力を感じる。現地の治安さえよければこちらも良い。

 もちろん、カナディアンロッキーは一生に一度は来訪すべき素晴らしい場所である。しかし、よほどカナディアンロッキーに惚れ込んだり、数泊のトレッキングなどの目的でもない限り、カナダ東部の帰りに立ち寄って2〜3泊して、レイクルイーズあたりの定番観光地を訪れれば十分な気もした。そして、もう少し廻りたかったという余韻を残して惜しみながら帰国の途に就く。よくあるパッケージツアーのコースが正解かも知れない。ホテル代も馬鹿にならないからなおさらである。

 もっとも、今回一週間もカナディアンロッキーに滞在して、普通の観光客が行かないようなところまで観光できた。初めて雄大な北米大陸をレンタカーを運転した。初めてヘリコプターに乗った。初めて乗馬した。カナディアンワインが意外と美味しいことを発見した。そして、十二分に気分転換してリフレッシュして、仕事上・・・心身に無理のかかる部分を休めることができた。もちろん、景色はやはり素晴らしい。そして、やはり楽しかった。

スイスアルプスの一風景
昭和61年(1986)3月
マッターホルンでスキー
昭和63年(1988)4月

失敗談


忘れ物

ハンカチ
レンタカー用CD
タオル

旅行中必要となったもの、不自由したもの

唇の薬 (日本の冬みたいに唇が切れた)
ビオフェルミン (軽い下痢でも行動が制限される)
携帯型目覚まし時計を現地時間にあわせておくべきだった (現地では合わせる余裕がなかった)
雨合羽 (トレイルを長時間歩くとき傘は面倒)
カメラ用レインコート (長時間のトレッキングだと完璧な防水が必要)
インターネット・プロバイダのローミング設定 (日本でしておかないと・・・)

一度も使わなかった持参物

三脚 (不要だったわけではないが出す時間が惜しかった)
レーダー探知機 (シガライターがレンタカーになかった)
スピードライト (フラッシュ)
洗濯石けん

カメラの時刻設定を正確に

カメラボディーは2台持参したが、一方のカメラが何故か10分もずれていた。考えられないことであるが、そのせいで写真の整理に時間と手間がかかった。


あれこれ回想


どうしてカルガリーからロッキーにはいるか

 バンクーバーの観光は考えていなかった。バンクーバーから鉄道やロッキー山脈にいたる方法もあるが、鉄道は高価で時間がかかる。重い荷物をもって移動しなくてはならない。レンタカーでバンフに向かうにも、大都市の走りにくそうな道を走りたくないし、距離が遠すぎる。そこで、カルガリーまで空路乗り継ぎ、そこでレンタカーを借りるべく手配していた。

レンタカー

 観光客の多い夏のカナディアンロッキーの交通渋滞を心配したが杞憂だった。旅行期間中に交通渋滞は一切なかった。

 カルガリーからレイクルイーズの1号線は信号もなく100km/hも可能だと思う。往路は何故かみんなゆっくり走っていたが、帰りは下り坂もあってか、120km/hで流れていた。実際、レンタカーのクルーズ・コントロールを120km/hにセットしてクルージングした。

 レイクルイーズからジャスパーもそこそこのペースで走れるが、一車線であり時々低速車に遭遇してしまう。低速車は主に大型のキャンピングカーである。そのキャンピングカーを抜かないクルマが5〜6台連なるとしばらくは70〜80kmの走行を余儀なくされる。また、レイクルイーズからジャスパーには停車するべき Biew Point が散在し、景色も素晴らしいので、アベレージスピードは落ちる。

予算

 国際線のビジネスクラス・・・これについては一瞬であるが迷った。いつかはビジネスクラスに乗ってみたい。しかし、これはバンクーバーの往復には不要であると思った。ヨーロッパ路線より2時間ほど早く到着するし、カナダ航空のB767の座席は意外に広かった。家内と窓際に座ると狭さを感じることはなかった。

 その分、ホテルをエグゼクティブなものにした。しかし・・・このホテル料金の総計がとんでもない額になってしまった。海外で初めて有馬温泉なみの宿泊料金を払い続けた。覚悟の上とはいえ、借金生活が数ヶ月続くことは否めない。

 旅行そのものにかかったお金は、パック旅行のそれと大差はないだろう。むしろ、パック旅行ではこれだけのホテルに泊まって、これだけのディナーを食べられなかったと思う。もっとも、ブランチにしたり、定番の観光地をパスすることもあったが・・・。

両替

 カナダドルへの両替であるが、二人で6万円で十分だった。というかちょうどだった。ホテルやレストランの支払いはもちろん、乗馬、ゴンドラ、雪上車・・・ほとんどのものをクレジットカードですますことができた。余ったカナダドルは、帰りの飛行場ですべて使った。

海外旅行と自責の念

 今般、借金してまで一瞬でもビジネスクラスにしようと一瞬でも考えたり、実際に超一流ホテルに宿泊しつづけたのは、もう海外旅行に行けないかも知れないということがある。家族や私自身の健康問題もある。仕事と子供を1週間も放って夫婦だけで旅をする自責の念。「贅沢だ!」「職分を考えていない!」そういう指弾の声も聞こえてきそうだ。それに、私が死んでからの家内や母の老後資金も考えてると、散財ばかりしていられない。

 一方でこのような考え方もできる。ヘリツアーで同乗したドイツ人親子が3週間のバカンスだとか言っていた。それに比して、私たちの休暇は8日である。3週間の休暇を欲しいとは思わないが、1週間の休暇と散財で自責の念を感じるのも馬鹿らしい気もした。

 朝7時から夜の8〜9時まで、絶えず職務上の緊張があり、正味の勤務時間も12時間を越え、15時間を超える日もある。しかも、月に休みは2〜3日をとるようにしたが、まともに休めるのは月に1日あるかないか。これでは、勉強はおろか読書すらままならない。散髪や近所のホームセンターすらも意を決しないと行けない。こんな状況であるから、外に出かけないと休めない。やはり、休暇は必要かも知れない。誰になんと言われようが、叱られようが、罵られようが、旅行は続けられるだけ続けたく思う。

 ただ、来年の旅行は無理な気がする。借金返済と次回の旅行資金積み立てをして満を持したい。
 再来年は、インドのサンチー、カラコルム山脈、カナダのプリンスエドワード島、あるいはマッターホルンを再訪してトレッキング、シャモニー、モナコ・グランプリの市街地コースをレンタカーで走る、モンサンミッシェル、いやいや、ミコノス島・・・。

 こうやって、夢をふくらませるだけでも楽しく、力がみなぎってくる。やはり、海外旅行はやめられない。


往路について


8/23(火)

関空へ

 出発前に所要時間20分くらいの仕事が入った。このせいにしてはいけないが、バッグに詰める荷物の最終確認ができなくなった。リストに記載していたハンカチ、タオル、レンタカーで聴くCDを詰め損なった。

 12:35 出発のリムジンバスで関空へ。
 13:40 関空到着。

関空にて

 関空にて両替 CAN$300(約\30,234)
 あくまで現地で両替するが、現地で時間がないなど非常事態を考えてとりあえず3万円を両替。$100紙幣に$10紙幣を10枚混ぜてもらった。気持ちの良いくらい綺麗な新券である。

 チェックインすると二人の荷物の合計が39kg。欧州路線だったらギリギリの重量だった。アメリカやカナダ便の重量制限は32kg。二人で64kgだ。これは有り難い。事前にこの情報は得ていたが、実際に空港職員からそう聞いて安心した。
 そもそも出発前にバッグの重量を確認する余裕がなかった。ただ、長年のカンがあって。荷物を持ったときに20kg以内だとは思っていた。

 飛行機は搭乗も出発も20分遅れ。それはチェックインの時に知らされていたが、掲示板は定刻のままだった。不安なので定刻出発でも大丈夫な時間に搭乗口に行った。

 出国の手続きは空いていた。さすがに夕方の便である。

出発

 関西 16:30 →<AC36>→ 10:00 バンクーバー

 フライトはAC36便。機材はB767。小さいがシートは日本の国内線なみに広くて快適だった。ビジネスクラスを通ってエコノミークラスへ。いつかはビジネスクラスと思うが一生の内にこちらに座る機会はあるだろうか。そもそも次に国際線に乗られるのは何時のことだろう。シート番号は窓際で家内と二人並んで座るはずが、AとCだった。Bがないのは8と間違いやすいからだろうか。

 いつもながら国際線のシートに座って思った。ここに座っていて良いのだろうか。私はこんなことをしてよい身分なのだろうか。仕事と家を放っておいて、家内と二人で出かけて良いのだろうか? 海外に出かけるとき、毎回そんなことを思う。
 平均して10時間以上の実働で、しかも休みはほとんどない。月に1〜2度の公休日もつぶれたり、たまった仕事の処理・・・リフレッシュなどできない。それでも罪の意識のようなものがある。一里歩けば旅の空のモードになったのは、文字通り飛行機が離陸してからである。

 フライト時間は9時間。時差ボケ解消のために、早く眠りたいのに気流が不安定で食事が出てくるのが遅くなった。思ったほど眠られなかった。

カナダ到着

 現地時間の9時頃、カナダの海岸線が見えてきた。入り組んだ海岸線と海に迫る山々。氷河期の氷河がつくった地形だろうか。そうこうしているうちにバンクーバーに到着した。

バンクーバー空港

 入国から乗り換えで困ったことはなかった。
 入国審査で具体的なことを色々訊かれた。どこのホテルに滞在するのか?と急に聞かれても、旅程を書いた紙を見ないとホテルの名前を答えられない。そう答えて旅程表を出せば良かった。

 預けた荷物は、一旦受け取ってカナダ国内線に再び預けなくてはならない。関空でチェックインは済んでいるので、チェックイン窓口には行かず、乗り換えチェックインのカウンター横のベルトコンベアに自分で荷物を載せるだけでよかった。日本語を話せるスタッフがいたので助かった。チェックイン窓口で訊ねる手間が省けた。

カルガリーへ

 バンクーバー 11:30 →<AC208>→ 13:50 カルガリー (1時間20分 時差有)

 カルガリーまでは1時間20分であるが、その間にスナックと飲み物のサービスがある。そのサービスを受けるあいだ起きていたが、寝ていた方が良かったかもしれない。

 バンクーバーは晴れていたが、途中から曇ってきた。カナディアンロッキーを上空から見られなかった。カルガリーに到着すると本降りの雨だった。しかも寒い。
 預けた荷物を受け取ったのであるが、空港の誰でも入られるような場所でタ−ンテ−ブルが回っている。荷物の盗難事件などないのだろうか?

レンタカーチェックアウト

 荷物を受け取ってすぐの場所にレンタカーの受付があった。手続きもスムーズだったが、予約していたカーナビ搭載車はないとのこと。カーナビといっても日本のように画面による案内はなく音声案内(日本語が可能らしい)だけであるが・・・。ドイツでこのタイプのレンタカーを借りたことがあるが役立たなかった。しかし、日本語が可能ということで申し込んでいた。

レンタカーを発進できない

 さて、クルマをスタートさせようとして困ったことがあった。それはパーキングブレーキのリリースの仕方がわからずスタートできなかったことである。結論はパーキングブレーキをもう一度強く踏むとリリースされるのであるが、リリースボタンをさがしたりレバーを探したり・・・4〜5分はもたもたしていた。

カルガリーからキャンモアへの道中

 道路はシンプルなはずであるが、カルガリー市内で迷った。外国の大都市を走るのは嫌である。道は至ってシンプルである。1号線を西へ西へ進むだけであるが、1号線を曲がり損ねた。リーフのデザインの中に1と書いてあるので見落とした。Uターンできる場所もなく、修正には苦労した。何とか1号線に復帰したものの逆方向に走っていることに気づいた。家内が方向磁石を持っていたのが重宝した。しかし、迷ったのはここまで、1号線を西向きに走っていることを確認すればあとはキャンモアまで一直線。

 ハイウェイは快適だった。驚いたことはほぼ全てのクルマが制限速度を守っていることである。制限速度プラス10kmくらい大丈夫という車両も少ない。郷にいれば郷に従え。さすがの私も制限速度で走った。

 ともかく、広い。広すぎる大地を直線に高速道路が走っている。こんな道は北海道でもヨーロッパでも走ったことはない。キャンモアまで近づくとさすがに峠道になってきたが、それでも高速道路の峠道でカーブも緩やかだった。

 


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