南インド仏教遺跡
(デカン高原横断)


はじめに

エローラ

アジャンタ

ナーガルジュナコンダ

アマラバティー

番外編


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ナーガルジュナコンダ (Nagarjunakonda)


● ナーガルジュナという名称

 町(村?)はナーガルジュナ・サーガル(Nagarjuna Sagar)という名称である。私の記憶に間違えがなければ、コンダ(konda)とは丘を意味する言葉で、ナーガルジュナの水没を免れた丘をさしていうのではないだろうか。

 ナーガルジュナコンダとは日本人にはややこしい地名である。しかし、「龍樹」といえば仏教に造詣の深い方であれば御存知であろう。ナーガルとは龍のことで現地では蛇のコブラを指すようだ。ナーガルジュナのジュナが「樹」と音写されたのだろうか。ナーガルジュナを漢訳すれば龍樹となる。龍樹は2〜3世紀に活躍した南インド出身の僧侶だ。初期の大乗仏教を空の思想で確立した。

 ただ、ナーガルジュナ(龍樹)と当地ナーガルジュナコンダの地名との関連についてはよくわからなかった。

 さて、このナーガルジュナコンダであるが「地球の歩き方」にすら載っていない。また、インド旅行を得意とする旅行社でも数年に一度行くか行かないかの場所なのだそうだ。また、現地の博物館職員に訊いても日本人はほとんど来ないといっていた。そもそも外国人観光者も希だとか。「ブルーガイド 海外版 28 インド P281」に辛うじて情報が載っている。

ハイデラバードから5時間、ダムをみてホッとする ダムの下流側
バスでダムを渡る 発電設備・ゆるい傾斜で重力ダムであることがかる
人造湖の夕日 ダムとその上流側、乾期で水が少ない


● イクシュヴァーク朝の首都

 ナーガルジュナコンダはクリシュナー川沿いの盆地にひろがる古都だったようだ。遺跡の寺院の数からしてそれなりの規模の都だったのだろうが、今はただの田舎だ。残念なことに、このナーガルジュナコンダの一帯はダムによる人造湖の底に沈んでしまっている。



● ダム建設により発掘移築された遺跡

 ナーガルジュナコンダの遺跡がダム建設により水没したことは由々しきことだが、その遺跡群は水没しない丘(島となっている)に移築されている。発掘されたものを発掘された通りに再現して、東西南北の方位も再現されているそうだ。



● ダム

 重力ダムでは世界でも最大級のダムだそうだ。事実、広範囲なインド全国地図でも確認できそうなくらいの大きな人造湖を作っている。「地球の歩き方」にある巻頭のインド全国地図にある「ナーガルジュナサーガル湖」と記されている湖は、この人造湖とは関係ない場所である。このダムはクリシュナー川にあるダムだ。

 このダムは発電、潅漑、洪水対策などを目的とした多目的ダムのようです。ちなみに発電施設は三菱製だとのこと。ダムから、下流を見ると破壊された橋が目に入るが、これは 1975 年(だと思う)の緊急放水で流れてしまったそうだ。

下流よりダムを見上げる 緊急放水で流されてしまった橋



● 遺跡の島へ

 遺跡と博物館のある島へは、ダム右岸から乗船する。所要時間45分で、一日2便ほどある。

 

 往路     復路
 9:00   12:30
13:30   16:30

 島は意外と広いので、朝一番の船で島に渡り、午後4時頃の最終便で帰るのが理想だろう。それでも時間が足りないくらいだ。

 ただし、金曜日は島に渡る船が運休(前述のブルーガイド海外版)だそうだし、人が集まらないと船も出ないそうである。ツアーなので詳細はわからないが船の運賃は Ru 10 〜 20 くらいではないかとのことだった。

 田舎の観光地であるが、島には数十人のスタッフが毎日クリシュナー号という船で渡って働いている。また、湖では一寸法師のお椀を大きくしたような船に二人乗りで漁をしている漁師の光景が見られた。

人造湖での漁師 一寸法師のお椀のようだ


● ナーガルジュナコンダの遺跡(移築跡)

 博物館の外には、寺院やストゥーパなどがあるが、他のインドの遺跡と同じように漆喰(しっくい)は既になく、赤煉瓦がつまれているだけある。

遺跡には漆喰のない煉瓦が残っているだけ

 ストゥーパには文字の掘られた破損した石灰岩(大理石に近い)が建っていた。しかし、だいたい当時の寺院や僧坊そして仏舎利塔(ストゥーパ)の様子が想像できる。往時は素晴らしく荘厳であったに違いあるまい。

Maha Stupa(大仏舎利塔) Maha Stupa の解説板

 途中大きな石灰岩の仏像が見えるが、これは複製品だ。仏像や彫刻の実物は博物館の中にある。


● 島の売店

 とりあえず、島には売店があって、冷たいコーラ(Ru 10)などが飲める。



● 博物館

 島に上陸して5分ほど歩いたところに博物館がある。入り口には記名簿があるが、入場料は不要。

 さて、この博物館の問題は写真とビデオの撮影が禁止である。ガイドブックがあれば写真撮影など必要ないのであるが、ガイドブックの在庫がないとのことだ。ハイデラバードから5時間近くバスにゆられてここまで来て、この素晴らしい仏教美術の記録が得られないのは誠に悲しい話だ。

 たまたま船内でスタッフと仲良くなれる幸運な機会に恵まれ、写真撮影許可を職員に交渉したときは何とかなりそうだったが、博物館の最高責任者と女性職員がかなりお堅い方で、俺に任せておけとばかりいきまいていた職員も尻すぼみ状態だった。ただ、交渉次第ではこそこそとわからないように撮影する分には見逃してくれるかも知れない。私もいきまいていた職員の上司のお目こぼしで少しだけビデオを撮れた。



● 博物館の展示物

繊細な彫刻

 エローラやアジャンタの彫刻と比べれば、こちらの彫刻は細かな部分まで彫られていた。
 ただし、エローラやアジャンタは彫刻した石が風化したのかも知れないし、石の材質が違うということもあるだろう。

 繊細な彫刻を可能にしたのは大理石に近い石灰岩だからだと思うが、非常に素晴らしい彫刻である。これらは、同じクリシュナ川流域のアマラバティー遺跡にも通じるものがある。

仏像

 高さ3mほどだろうか、発掘された大きな仏像が展示されている。衣のひだの彫りが深く鋭いのが特徴だった。

水没前の立体地図

 水没した盆地のどのあたりにどの遺跡があったのかを示す立体地図(模型)があり。往時の状況を推察するのに役だった。

 どちらにしても、彫刻がどのような釈迦伝やジャータカ(釈尊の前世物語)をモチーフにしているかなどを同定するのにはかなりの仏教知識が必要である。また、博物館職員や現地ガイドの英語の説明を聞いて理解するには、釈迦伝やジャータカに登場するサンスクリット語の固有名詞に詳しくなくて話にならない。私の英語力の問題もあるが、現地の英語はなまりが強くて聞き取りにくかった。

 説明して下さった博物館職員には赤と黒の日本製ボールペンをプレゼントしましたら、喜んで下さった。

 



● ナーガルジュナサーガルの宿

 泊まったホテルは Nagarjuna Motel だ。旅行中でもここだけはインドの田舎ホテルをエンジョイできた。

 

シャワーがあるが水が出ない
蛇口からもお湯は出ないので水で身体を洗う
ベランダのドアには鍵があるが、窓の鍵はこわれて錠をかけられない
テレビはない
一日数回停電する (他でも珍しくはないが・・・)
部屋の鍵は南京錠だが、ロックするときも鍵が必要
日の出前になると近所のヒンズー寺院からお経のテープが大音響で流される

 私の泊まった部屋は101号室だったが、英国式の階数であり実際は2階だ。102号室はお湯がでるようだった。

 不便であるが、インドの田舎を感じて楽しかった。料理はそれなりに美味しかったし、注文するとビールも出てくる。これさえあれば文句はない。

 また、ホテル門前に国際電話をかけられる有人?電話ボックスがある。何故か停電しても通話を続けられる。また、遺跡のある島に渡る船の乗り場に一番近いホテルだったと思う。