仏教ラウンジ bodhi ★ bodhi_5  001-100  101-200  201-300  301-end

−−会議室5  [法 華]:梵本法華経、天台教学、日蓮教学など −−

00201 00/04/04 21:29 かみ               RE:00198 墓穴堀り(爆)
>>で、日蓮宗新聞に執筆していらっしゃるのですか?、、、、
>
>Σ( ̄□ ̄;) がびーん・・・墓穴を掘ってしまいました(爆)
>あのあおり記事で身内からツッコミをいただいているので・・・
>つい過敏反応をしてしまったですぅぅぅ(^^;)
>
>気の迷いです、目の錯覚です・・・ってことで・・・....゛(ノ><)ノ
了解いたしました。楽しみです!
それと、あちらもありがとうございました。
00202 00/04/04 21:37 かみ               RE:00199 さらに付け加えて
>きくさん・川蝉さん
パネルディスカッションのように、
展開がとても読み応えがあります。
離れていた糸と糸がつながってきたような気がしました。
> 蛇足ですが、七面天女の本地は吉祥天。竜王が父、鬼子母神が母、毘沙門天の妻
>とされます。
>日蓮宗の教義に移行することには容易であったのかもしれません。
一瞬、そう言うことだったですか。と思いました。
何度か歩いた七面山ですが、
歩いていて不思議な物語を聞かせていただいたこともあります。
予定されていたように重なることが多いですね。
そんな思いにも似てROMさせていただいています。
とてもレスできる実力はなく、勝手な感想レベルですみません。
00203 00/04/06 16:03 川蝉               RE:00199 さらに付け加えて
 かみさん、きくさん、話の乗りついでに。
> 蛇足ですが、七面天女の本地は吉祥天。竜王が父、鬼子母神が母、毘沙門天の妻
とさ>れます。日蓮宗の教義に移行することには容易であったのかもしれません。
本地は吉祥天女。龍王の娘。鬼子母神の子としたのは、日蓮宗のようです。
むかし買って置いた宮崎教授の「日蓮宗の守護神」を開いてみましたが、アレレッー
と云う思いです。
室住一妙教授も
「波木井公と日朗上人同道して勧請したと云うのも俗人にうけ容れ易いスジを通すた
めの伝承であろう。疑い得ない文献や確証あってのことでない」(七面大明神縁起・
40頁)と述べていますが、
宮崎教授も
「七面大明神示現を聖人の時に関係づけようとするのは、その権威を重くしようとす
るためで、聖人当時はもちろん滅後久しい間そのような説話はなかった」(前掲書1
22頁)といっています。
そして
「七面山を身延の鬼門よけの霊地にしようと云う考えが古くから有り、鬼門除けの地
とするには強力な明神の示現が求められ、鬼子母神の子が勧請されたのではないか
(取意)」と推定し、
さらに
「祭られた時期は確定できないが、天正20(1592)年の大曼荼羅に勧請されて
いるのが文献的最初のもの。
身延の11代12代13代の法主の著述・曼荼羅本尊にも七面大明神の名称さえ見え
なく、14・15・16代の頃に七面大明神信仰が発生したのであろう(取意)」
(前掲書123頁)
と推定しています。
執行海秀教授は
「元政上人(1623年〜1668年)の「七面大明神縁起」には吉祥天女の垂迹と
しているが、おそらく、当時の鬼子母神信仰と結びついたものであるかも知れない。
七面大明神を吉祥天女とすることによって、鬼子母神の娘とするに至ったわけであろ
う(取意)」(七面大明神縁起・52頁)
とし、さらに
「御義口伝にシャカラ竜王の娘が聴聞に現れたとし、神武天皇の祖母に当たる豊玉姫
は龍女の姉であると伝えている。龍神と皇室とのかかる関係は、中古天台の叡山に伝
えられた一実神道の口伝に由来するものであろう(取意)」(前掲書52〜53頁)
と推定しています。
かみさんへ。
すでに御存知かも知れませんが、上がり口の神力坊(一番最初の休み所)に、母子地
蔵が祀られています。私が身延を終えて何年か後の新入生の身に起こった霊障が元で
す。事の顛末が教誌「みのぶ」に詳しく載りました。(残念ながら紛失してしまい、
詳しい話は忘れてしまいました)もし御存知無ければ、今度参詣される折りに神力坊
で聞かれたら良いと思います。
あと一つ前の岩間法主さんのお寺で以前出していた教誌に詳しく書かれていた京都の
本山たしか本満寺の貫主さんの身に起こった七面さまの不思議な現象があります。
(残念ながら、これも人に貸したのか紛失してしまいました)
00204 00/04/07 16:03 Eisai              RE:00188 みてみたい昭和2年以前の絵はが
かみさん、御無沙汰しております。
 > 拙作HPを見た方が、昭和2年以前の絵はがきを下さったことがあるので
す
 > が、この山においての「時間」を感じました。
 この写真は七面山の写真ですか?
 かみさんのHPなどで見られませんよね。
 一度見てみたいなぁ。
 よろしければサーバーのどっかに置いてURLを教えて頂くなど、見せてい
ただけませんか?
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00205 00/04/07 16:03 Eisai              RE:00175 雑乱勧請?
 > ところで日蓮宗を密教の方から考えようとしている人がいて、私もたいへ
ん
 > 興味がわきました。最近よく話します。ちょっと書いておきます。
 日蓮宗を・・・あるいは日蓮仏教全般を密教と捉えるのは、日蓮宗の中の任
意団体である霊断師(九識)とか、今なお中古天台を信奉する方々でしょう
ね。
 その本覚論的な教義だけでなく、奥義を非公開にして秘密の教義を師資相承
によって伝持しようとする密教的姿勢は、富士大石寺の方々でしょうか。
 > たとえば七面山。
 なんか七面山のお話ができる(聞ける)のは御縁ですね。
 たまたま、阪神大震災以後床の間に安置していた、うちの寺の七面山をこの
彼岸に本堂に仮安置しました。朝勤で私の法華経一部経を、諸尊と一緒に少し
ずつ聞いていただいているところです。
 でも、何時の時代に誰が勧請した七面様か詳らかでないのです。
 妙見堂に勧請されていたのですが・・・。
 うちの妙見様は脇師に諏訪大明神、牛頭天王がおられます。他ではあまり聞
かない勧請形式ではないかと思います。
 その他、七面様、九曜星の鏡付き御神体、毘沙門天の石像が奉られていまし
た。一昔前の創価学会だったら雑乱勧請だと大喜びしそう。
 それぞれ、関連があるのかな。
 そもそも、天地開闢の時にあらわれたとされる国常立尊(くにのとこたちの
みこと)と習合しているのがうちの妙見様です。明治の廃仏毀釈対策かも知れ
ませんが・・・。
 それにしても、北極星を神格化した妙見宮、同じく星を神格化した九曜星の
鏡付き御神体、宇宙開闢に纏わるような国常立尊を勧請したお寺の息子(私)
が、大学で天体物理を少しかじったりしたのですから・・・不思議な縁です。
ふくさんはその時の御一緒しました。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00206 00/04/07 16:03 Eisai              RE:00175 日蓮正宗系の法要式
きくさん、超亀レスすみません。
 > 創価学会、正信会、顕正会の執拗な妨害にあってきたが、日蓮正宗の
 > 教義を堅持して行くのでご安心ください。という貼り紙です。
 未だに続いているのでしょうか?
 > そのお寺は戦後の新しいお寺ですが、住職はまだ40歳前後の方で、し
 > っかりした方のようでした。
 しっかりしていないと、創価学会や顕正会の強者と渡り合えないでしょう
ね。
 > 赤沢朝陽という創価学会と強い結び付きのある仏具屋さんが大々的に売
 > り出したのです。横に置くと何となく現代的で格好いいのです。それで創
 > 価学会の家で多く用いられたのです。
 赤沢朝陽・・・阪神間では聞くことのない仏具屋ですね。
 現代的ということでは創価学会も色々試行錯誤したようですね。
 たしかに、あの長い長方形の香炉に線香を横たえると、立てた線香から灰が
落ちる心配もないし、線香がこけて畳を焦がす心配もない。
 新しく興った宗教って他と違った、用語や形式を作りたがりますね。
 > 曹洞宗でも横に置くことがありました。折って置くこともありました。
 この一連のチェーンで話をしてから、とりあえずうちの妙見様でも線香を横
にしています。
 蓋のある香炉は線香をよこにすると「日蓮宗宗定法要式」にあるのですか
ら、それに従っただけですが。
 蓋の隙間から香りと煙がわきあがるさまは情緒があるなと思うに至っていま
す。
 > しかし、立てようが置こうが、仏教本来の教えとは関係ないことだと思い
ます。
 仰るとおりですね。
 作法など、国や地方そして時代によってさまざまですね。どうでもよいこと
拘るのが埋葬の儀礼ということは、エジプト考古学の早稲田の先生が仰ってお
られましたね。
 宗教儀礼全般にも通じるかもしれません。かといって儀礼がないと困ること
になります。どんな儀礼であれ、仏様に通じる精神がこめられていると思いま
す。これが正しい、あれが間違い、ということは無いように思います。
 > 日蓮正宗と創価学会が不和になってきてから、日蓮正宗に何があ
 > ったのかはわかりませんが、日蓮正宗が伝統回帰をしだしたのか、
 > 法要の形が少し変化したように思うのです。
 創価学会会員が行っていたのは伝統的なものでは無かったのですね。
 > それは、お経の読み方が丁寧になり、調子が日蓮宗とほとんど同
 > じになってきたこと。以前は、ただただひたすらに読んでいるという
 > だけのようでした。
 修法や法華一部経読誦などで日蓮宗もやたらと速く読む習慣もなくもないで
すが、基本はゆったり意味を噛みしめながら読誦することが肝心でしょうね。
そうじゃないと助行にならないと思います。
 正宗さんはゆっくりお経をあげていたら創価学会の信徒数に対応できずにお
経が速くなっていたのでしょうか。
 また創価学会会員にしても、日常的にあの長い『妙法蓮華経如来寿量品第十
六』を読むのは時間的に大変だったのでしょうね。さすれば、お経が速くな
る。お題目も回数に拘ると唱える速度が速くなって、南無妙法蓮華経の「ナム
ミョウ・・」が「ナンミョウ・・」になる。
 > 先日の法事では住職自ら太鼓をたたいて、お題目を唱和しました。
 > そのたたき方は、池上本門寺のたたき方とほぼ同じでした。
 あの両手をブルンブルン回す acrobatic な叩き方ですか?
 > 「宝塔偈」(「・・・能於来世 読持此経 是真仏子 住淳善地・・・」
 > と、たしかに聞き取れました。)にあたる部分を、住職だけが口の
 > 中で小声で唱えるのですが、よく聞いているとわかります。(これ
 > が富士大石寺の伝統なのかもしれません。)
 それは知りませんでした。
 でも、日蓮宗も法華宗も全国的に宝塔偈を唱えるのですから、富士大石寺が
唱えていて不思議ではありませんね。
 > 御妙判にあたる部分も復活(?)したのか、行いました。
 へぇ〜。
 近世まで法要式は似たようなものなのでしょうか。
 それとも、たまたまその正宗の住職がそうしているのでしょうか?
 でも、恐らく正宗さんにはそのような自由度はないような気もします。
 > やはり日蓮聖人の流れなのだな、ということはよくわかるようになりまし
た。
 それは間違いないでしょう。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00207 00/04/08 08:50 きく               RE:00206 日蓮正宗の伝統回帰
Eisaiさん、こんにちは。きく、です。
 宗門の人間ではないので無責任なことばかり言って、引っかき回してし
まったような感じですね。でも、こんなに開かれた世界があるというのは、
すばらしいことだと思います。
> > 創価学会、正信会、顕正会の執拗な妨害にあってきたが、日蓮正宗の
> > 教義を堅持して行くのでご安心ください。という貼り紙です。
>
> 未だに続いているのでしょうか?
 最近またまた熾烈なようです。正信会は日蓮正宗の寺院や僧侶も多く加
わっていますから、それだけでもう一つの日蓮正宗が存在するような感じ
です。
> 赤沢朝陽・・・阪神間では聞くことのない仏具屋ですね。
 その仏具屋さんの奥さんが創価学会の大幹部で、婦人部を握っていまし
た。
> 新しく興った宗教って他と違った、用語や形式を作りたがりますね。
> 蓋のある香炉は線香をよこにすると「日蓮宗宗定法要式」にあるのですか
>ら、それに従っただけですが。
> 蓋の隙間から香りと煙がわきあがるさまは情緒があるなと思うに至っていま
>す。
 よいものもありますが、なんだかへんてこなものもあります。美的感覚
の問題でしょうか。関東の鎌倉時代の仏像には、意識して都とは違った形
式や技法で作られたものがあります。土紋という衣紋の模様です。今日そ
れはこの時代の地方様式として美しいものとして見ていますが、その時代
はどうも都人からはバカにされていたようです。
 鎌倉に鬼頭天薫堂というお香屋さんがあって、お皿の上に斜めに立てる
小さな器具(200円)を売っていますが、これが若い人たちににとても
受けています。沈香や麝香、白檀の香りは、かくれたブームなのだそうで
す。私の家の小さな厨子の前にはこれがよく似合うので、ちょときれいな
磁器の小皿の上に、斜めに立てています。なかなかステキですよ。
> > 日蓮正宗と創価学会が不和になってきてから、日蓮正宗に何があ
> > ったのかはわかりませんが、日蓮正宗が伝統回帰をしだしたのか、
> > 法要の形が少し変化したように思うのです。
>
> 創価学会会員が行っていたのは伝統的なものでは無かったのですね。
> 正宗さんはゆっくりお経をあげていたら創価学会の信徒数に対応できずにお
>経が速くなっていたのでしょうか。
> また創価学会会員にしても、日常的にあの長い『妙法蓮華経如来寿量品第十
>六』を読むのは時間的に大変だったのでしょうね。さすれば、お経が速くな
>る。お題目も回数に拘ると唱える速度が速くなって、南無妙法蓮華経の「ナム
>ミョウ・・」が「ナンミョウ・・」になる。
> > 先日の法事では住職自ら太鼓をたたいて、お題目を唱和しました。
> > そのたたき方は、池上本門寺のたたき方とほぼ同じでした。
>
> あの両手をブルンブルン回す acrobatic な叩き方ですか?
「ナンミョウ・・」はいやですね。何となく軽薄です。(しかし、これは
かつての東国の音韻、口を閉じて「ム」と言ったことからそう読むのかも
しれません。)
 親しい友人のKさん、ご先祖が大石寺の塔頭の出なので、話してみる
と、創価学会のために法式がゆがめられた、と言っていました。Kさん自
信もお寺の手伝いをしたことがあり、その記憶では太鼓もたたいていたし、
御妙判にあたる部分、御書の一節も読んだ、と言っていました。それほど
 acrobatic ではないですが、調子は同じです。
 そのKさんが、「お守り本尊」というのがあった、と言っています。し
かし、これは現在の日蓮正宗では見られないものです。彼はその中身も見
たそうです。
> 近世まで法要式は似たようなものなのでしょうか。
 私はわかりませんが、昔の中山と近いものがある、とそのKさんは言い
ます。
00208 00/04/08 12:24 Eisai              RE:00177 スーフィズム
YAM さん、どうもです。
 > 呪術嫌いの真宗でも,絶対他力を
 > とことん突き詰めるとスーフィズム的な神人合一思想と紙一重になりそう
な
 > 気がします.
 スーフィズム sufism とはイスラム神秘主義のことですね。
 何なのか解らないので調べました。スーフィズム は、清貧、禁欲的で不断
の修行、戒律の厳格な遵守で、アラーと自己の隔てを除いて行くような凄まじ
いもののようです。
 親鸞さんの絶対他力とは精進の次元がちがうような気がします。しかし、神
への絶対的な信頼と、ひたすら神の名前を唱えるようなところは似ています
ね。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00209 00/04/09 09:01 きく               (発言者削除)
00210 00/04/09 09:04 きく               RE:00205 西村公朝の曼荼羅の解説
Eisaiさん、おはようございます。きくです。
> 日蓮宗を・・・あるいは日蓮仏教全般を密教と捉えるのは、日蓮宗の中の任
>意団体である霊断師(九識)とか、今なお中古天台を信奉する方々でしょう
>ね。
> その本覚論的な教義だけでなく、奥義を非公開にして秘密の教義を師資相承
>によって伝持しようとする密教的姿勢は、富士大石寺の方々でしょうか。
 同じ職場の親しい友人のKさんです。この人の祖母さんが大石寺の
塔頭から出た方で、今は日蓮正宗では尼僧さんを聞くことがありませ
んが、尼僧だったそうです。そんなわけでKさんは、はじめは日蓮正
宗一辺倒だったそうです。それから創価学会にも入り、学生運動が盛ん
になるとともに左傾して、抜け出したそうです。教員になっていろいろ事
情のある生徒の家庭を訪問していると、経済的にはどん底で、家庭崩壊
しているのに、立派な仏壇があり、正宗のシンボルの鶴の紋が目に入っ
て、非常に辛い思いをしたそうです。彼はそこから、真言、特に古義真
言に深い興味を感じたそうです。今はまったく離れてしまい、もっぱら
阿字観専門です。ただ日蓮正宗の前の代の猊下やの現在の猊下、池田大
作さんとも実際に面識のある人です。日蓮正宗の深い部分をよく知って
いる人です。
 私にはよくわかりませんが、日蓮正宗も時代時代で変化しているよう
です。そのKさんによると、今はやっているという話は聞かないので
すが、日蓮正宗の祈祷があったはずだと言います。昔の中山の流れと何
らかの交渉があっただろうと言います。
 先日私の祖母の法事のさい、ご本尊の前に、真言や天台で使う金のお
茶碗がありますね。それが並べられていて、その真ん中の器には樒の葉
が入れられてありました。あれっ、て思って見ていました。
 日蓮正宗も、宗門の中に富士大石寺の直系の人たちと、正信会の系統
の人たちとあるようですね。ガチガチの一枚岩だと思っていましたが、
その差は案外大きいのではないかと思います。私の無責任な感想ですが、
富士大石寺の直系には密教的姿勢があるのではないかと思います。
> うちの妙見様は脇師に諏訪大明神、牛頭天王がおられます。他ではあまり聞
>かない勧請形式ではないかと思います。
> その他、七面様、九曜星の鏡付き御神体、毘沙門天の石像が奉られていまし
>た。一昔前の創価学会だったら雑乱勧請だと大喜びしそう。
 創価学会や顕正会、そして正信会なら、やれ狐だの蛇をまつって・・・、
と言いますね。しかし、ご本尊様ご本尊様と言っても、そこに何が書い
てあるのか、その勧請されている諸尊が何なのか、彼らの多くはほとん
ど知りません。
 西村公朝が両界曼荼羅の解説で、大日如来は真ん中にある仏様だが、
その曼荼羅全体も大日如来をあらわしたものなのだ、と説明していまし
たが、私は同じような感じで、我が家の十界曼荼羅を見ています。すな
わち、あの曼荼羅の諸尊がすなわち法華経なのではないかと・・・。あ
の全体が法華経なのではないかと・・・。
 しかし、これは私流の勝手な解釈ですから、宗門の方たちからすると
おかしいかもしれませんね。でも、日蓮聖人より後に、後世組み入れら
れた諸尊も、意味を聞けばいくらか理解しやすくなります。(でも、やっ
ぱりおかしいのもありますね・・・。)
00211 00/04/09 23:03 Eisai              RE:00179 『五輪九字明秘密義釈』
紫蘭さん、お怪我の方は如何ですか?
 > 日蓮聖人は比叡山就学の時代に、東寺で真言宗覚鑁の「五輪九字明秘密
 > 義釈」を書写して、
 確かに『五輪九字明秘密義釈』の日蓮聖人書写の真跡が中山法華経寺に伝
わっているようですね。奥書(定2875)は建長3年(1251)ですから、立教開宗
の2年前ですね。
 比叡山に遊学しておよそ10年目くらいでしょうか。丁度この頃、畿内の諸
山を巡られているようですね。
 『五輪九字明秘密義釈』の内容は真言密教の立場から隆盛になりつつある阿
弥陀仏教を述べた者で、大日即弥陀を強調したものだそうです。
 「日蓮宗事典」P106 c
 > 清澄に帰ってからも、清澄の学僧に「五輪九字明秘密義釈」を書写させ
て、
 > 醍醐寺理性院の血脈を授けている・・・というのを読んだことがありま
す。
 > そういう意味合いでも、密教の影響は強いでしょう。
 立教開宗後に密教の血脈相承されたのですか?
 それも大日即弥陀の『五輪九字明秘密義釈』を書写させて・・・。
 ※『五輪九字明秘密義釈』 大正79巻所蔵 だそうです
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00212 00/04/09 23:03 Eisai              RE:00186 星下りって本当?
紫蘭さん、続けて変な横槍ごめんなさいね。
 > >日蓮聖人の龍ノ口の法難や依知での星下りの伝説が、この体験と結び付く
 > ように思
 > >うのです。
 >
 > 依智では、童子姿の明星天子が示現するシーンがありますねえ
  いかに月天いかに月天とせめしかば、其しるしにや天より明星
  の如くなる大星下りて、前の梅の木の枝にかかりてありしかば、
  ものゝふども皆ゑんよりとびをり、或は大庭にひれふし或は家の
  うしろへにげぬ。 『種々御振舞御書』
 たしかに、『種々御振舞御書』には真跡断簡が伝わっているそうですが、ど
の部分が真跡が伝わり、どの部分が真跡の欠落している部分か私は知りませ
ん。
 『種々御振舞御書』は問題多い御書だと立正大学の先生から伺ったことがあ
ります。
 あと、「星下り」は御臨滅直前の弘安五年十月とは思えない長文(偽書とさ
れている)『波木井殿御書』にもあります。
 小学生低学年でも疑いをもつような日蓮聖人の逸話をどう扱いましょう。大
学時代に天体物理をかじった私は否定的です。
 隕石なら梅の木の枝にはかからないでしょうし・・・。
 蛍かな・・・でも夏の虫ですよね。そして、季節はずれの蛍でも役人どもが
驚くことはないでしょう。
 土葬のリンでも燃えたのかな?
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00213 00/04/10 16:12 川蝉               RE:00211 『五輪九字明秘密義釈』
 
Eisai さん今日は。横からのレスで失礼します。
> 立教開宗後に密教の血脈相承されたのですか?
山川智応著「日蓮聖人」に在る年表には、30歳の項に
「理性院血脈を受け、此の年11月、五輪九字明秘釈を書写す」
とありました。
聖人に相承した真空は1204〜1268年の人で、聖人より18歳の年長です。
ただし、戸頃重基氏や高木豊先生は、理性院血脈にある日蓮は同時代の大和の日蓮房
重如であろうとしていますね。
理由は血脈の代数が25代であるのに「不動愛染感見記」は23代となっているから
であるとしています。
しかし、聖人が別系統の血脈を他にも受けていると仮定すれば、片方には25代、一
方には23代とあっても不思議でないと云う見解を述べている学者もいます。
それにしても、正式な真言宗の僧になったわけでない研学中の聖人に、血脈を与える
者でしょうかね?
モニターを17インチに換えたので、発言の一行全体が表示できるようになりました。
しかし、ニフタームとPCU(交換した)との相性が悪いのか、ここの通信をしたあ
と、電源を切るさい、フリーズして、強制的に電源を切る事が度々あります。
それから、引用印がうまくいかなく、読みづらい発言でご迷惑をおかけしています。

00214 00/04/10 16:12 川蝉               RE:00211 『五輪九字明秘密義釈』
 
00215 00/04/10 16:12 川蝉               MEEisai さん、続けて横レス失礼します。
> たしかに、『種々御振舞御書』には真跡断簡が伝わっているそうですが、ど
>の部分が真跡が伝わり、どの部分が真跡の欠落している部分か私は知りませ
>ん。
それにしても、明治八年の身延山の火災は口惜しい事件ですね。
乾師目録がなかったら、御書の真蹟問題はもっと紛糾したでしょうね。
頸の座の部分は「種々御振舞御書・19紙一巻」
星下りの部分は「佐渡御勘気御書・21紙一巻」
にあったことになっています。
小川泰堂居士がこの二書に「阿弥陀堂法印祈雨抄・10紙一巻断」とを、組んで現行
の
「種々御振舞御書」にしたものです。
乾師目録には、「種々御振舞御書」の最初の句と終わりの句を記し、「已上十九紙 
整足セリ 何モ御筆前後ノ紙ニカカレリ 」とあり、
「佐渡御勘気御書」は「廿一紙 整足」と記してあります。
茂田井先生は「整足」について
「後から書き込まれた御筆が前後の紙に入れられ、内容が整えられていると云う事で
ある。日蓮聖人自身が整えられた、というよりも、むしろ聖人が亡くなった後に弟子
達によって整えられたものもあろう。しかし、この整足するときに他人の筆が入ると
云って内容を疑問視し偽書扱いする学者もいるが、整足されて他筆が入れば、日乾は
″他人の筆でこれこれの書き込みがある″ということを述べており、私はそれを信じ
るのである(取意)」(日蓮の行法観・14頁)
と説明しています。
なるほど乾師目録を見ると、別筆・他筆の箇所が有る場合は、きちんと、その事を記
しています。
もしも頸の座や星下りの箇所が他筆であったとしたら、乾師はきちんと、他筆である
ことを記したであろうと思われます。
乾師目録の正確性を信じれば「種々御振舞御書」を真蹟であったとすべきであると云
うのが茂田井先生の見解です。
となると、ますます
> 小学生低学年でも疑いをもつような日蓮聖人の逸話をどう扱いましょう。
と云う問題が強くなりますね。
大槻教授ならば、プラズマ現象で説明するかも知れませんね。
S 5
RE 00212
 
00216 00/04/11 18:08 Eisai              RE:00215 『種々御振舞御書』の真偽
川蝉さん、こんにちは。
 > それにしても、明治八年の身延山の火災は口惜しい事件ですね。
 全くです。
 > 小川泰堂居士がこの二書に「阿弥陀堂法印祈雨抄・10紙一巻断」
 > とを、組んで現行の「種々御振舞御書」にしたものです。
 どうして合体されたのでしょう。御存知ないですか?
 > 茂田井先生は「整足」について
 > 「後から書き込まれた御筆が前後の紙に入れられ、内容が整えられ
 > ていると云う事である。日蓮聖人自身が整えられた、というよりも、
 > むしろ聖人が亡くなった後に弟子達によって整えられたものもあろう。
 > しかし、この整足するときに他人の筆が入ると云って内容を疑問視し
 > 偽書扱いする学者もいるが、
 整足・・・足りない部分を付加して整えるという意味でしょうか。
 証拠品がないと可も不可も何も言えませんね。
 ただ、
◎補うなら、どうして真跡に直接補ったのだろう。それは、当時としても恐れ
多いことであったはずである。真跡を書写してから全体を整えるのが普通では
なかったか。
◎星下りの話などは他の真跡御妙判に登場しない。
◎あまりにも超自然的な現象で、気象学や物理学で説明できないのではない
か。気象学者に原文を見せて可能性のある気象現象を考察して頂くことをして
はどうだろう。
 
◎それほどの超自然現象が起これば、鎌倉幕府や著名人の日記にも記されてい
ても不思議でない。
 お叱りを受けそうなことですが、私は現在のところそう考えています。
 立正大学の小松邦彰先生がしきりに『種々御振舞御書』は問題があると仰っ
ておられたように記憶しております。
 私の真跡主義は小松先生の影響が甚大です。勧学院の研修会などで御質問で
きる機会があると、一度お訊きしたいことですね。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00217 00/04/12 07:22 かみ               RE:00203 さらに付け加えて
>川蝉さん
今頃のレスで恐縮ですが・・
> すでに御存知かも知れませんが、上がり口の神力坊(一番最初の休み所)
> に、母子地蔵が祀られています。私が身延を終えて何年か後の新入生の身
> に起こった霊障が元です。事の顛末が教誌「みのぶ」に詳しく載りました。
>(残念ながら紛失してしまい、詳しい話は忘れてしまいました)もし御存
> 知無ければ、今度参詣される折りに神力坊で聞かれたら良いと思います。
4/8に歩いてきました。桜満開の下界から、雪の残る敬慎院まで、
保育園児連れで「行けるところまで行こう」が、日帰りできました。
で、偶然外にいらしゃった上人様から伺うことができました。
不思議な話ですね。
>川蝉さん・きくさん
今回の話を伺って、少し山に近づくことができた気がします。
00218 00/04/12 13:09 Eisai              インドに二仏並坐の仏像
 今日、届いた日蓮宗新聞をみて思わず固唾を呑みました。
 インドに二仏並坐の仏像があるなんて知りませんでした。というよりショッ
クでした・・・。
 二仏並坐像があるとされるオーランガバードは、私がエローラやアジャンタ
を旅行した時に滞在していたからです。
    旅行記は http://www4.osk.3web.ne.jp/~eisai/indea/
 そのことを知っていたら、何が何でも拝みに行ったのに・・・(+。+)アチャー。
 それにしても、本当に釈迦多宝なのでしょうか? パキスタンにある二仏並
坐像は釈迦多宝でないと聞き及んでいますが・・・。
 写真を観ると二仏とも合掌印のようにも見えます。そして、中心的な本尊と
いうより、壁面の浮き彫りの一部の小さな仏像といった感じですね。冠はない
ようですから菩薩像ではないようですね・・・。それにしても新聞ではなく解
像度の高い写真が見てみたい・・・。 

 日蓮宗新聞平成12年4月10日号よりその部分を引用いたします。
----------------------------------------
インド法華経による貴重な造像例
 三月のはじめにインドを訪ね、アジヤンター、エローラ、アウランガバー
ド、エレフアンタなどの石窟を見学した。
 そのうちアウランガバード石窟(同市の郊外に位置する)の中に、観音菩薩
諸難救済図の浮彫と釈迦・多宝二仏並坐像を見出し、感激した。
 石窟は全十二窟と小規模ではあるが、すべて仏教窟で、古いものはエローラ
の仏教窟とはぼ同時期の四世紀、あるいはもっと下って六世紀頃の造窟ともい
われる。
 観音菩薩諸難救済図は、逸見梅栄博士が少しふれておられたが、実際に像に
出会えたのは喜びであった。また隣の窟の二仏並坐像の存在にはさらに驚かさ
れた。
 ほとんど見ることのできないインドの法華経による造像の貴重な作例といえ
よう。中国の敦煌石窟の北魏時代の二仏並坐像や隋代の普門品変相との関係に
ついて今後の考究が望まれる。
解説 立正大学教授 坂輪宣敬
00219 00/04/12 13:13 Eisai              RE:00218 URL訂正
 >二仏並坐像があるとされるオーランガバードは、私がエローラやアジャン
 > タを旅行した時に滞在していたからです。
 >
 >     旅行記は http://www4.osk.3web.ne.jp/~eisai/indea/
 失礼、
      http://www4.osk.3web.ne.jp/~eisai/india/
の間違いでした。スペルミス。
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 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00220 00/04/12 14:17 川蝉               RE:00216 『種々御振舞御書』の真偽
 isaiさん今日は。
>どうして合体されたのでしょう。御存知ないですか?
御書の講義書に、三書を一書に編した理由を述べている小川泰堂居士の文が載ってい
ました。
「・・此の三章、定んで一編の書なるべしとは先師もすでに評あり、我は延山に於い
て三軸の真蹟を竝観して、まのあたり其の三すなわち一書なることを証知せり・・」
(遺文録第廿巻)
と、あるそうです。
この後に続く文章の意味が掴みにくいのですが、定本の985頁11行目より(され
ば鹿は・・)最後までは、「古版にあるが真蹟は欠けている部分である」旨を語って
いるようです。
小川泰堂居士も他筆が加えられていたとは述べていないようです。小川泰堂居士が云
うところの先師とは、明和7年の玉沢の日通師の目録や文化11年の日明師の「祖書
目次」のことだそうです。
>整足・・・足りない部分を付加して整えるという意味でしょう
>か。 証拠品がないと可も不可も何も言えませんね。
「整足セリ」の意味が、茂田井先生の説明では、今ひとつ具体的にわかりませんね。
中尾堯先生にでも訊いてみたいですね。
いま一休みしている時に「日蓮聖人遺文辞典」ではどうなっているかと見ましたら、
くわしく載っていました。
日乾目録の後に、
「すなわちこれらの御書はいずれも始めから紙ははりつがれており、書きつがれた筆
跡は料紙のつぎ目にかかっているとしるされているから収蔵伝承されたままの巻子仕
立てであることは明白である」
と解説されています。(簡単な日乾目録から、このように具体的に読みとるとは、さ
すが学者は偉いと思われました)
上記の小川泰堂居士の文も掲載されていました。
>お叱りを受けそうなことですが、私は現在のところそう考えてい
>ます。
Eisaiさんのあげた疑問ももっともですね。
佐渡流罪中に宣時が三度、虚御教書を発し、日蓮信者を科料、宅払い、処払いに処し
たとの事ですが、龍ノ口や星下りの奇跡の報告を受けていたであろう宣時が、聖人迫
害の罰を恐れず、よくも虚御教書を発したなぁ、と前々から不思議に思っています。
聖人の命を直接ねらうのでないから恐れを感じなかったのでしょうかね。
00221 00/04/12 19:05 紫蘭               日蓮聖人と弟子檀那
 どもっ (^-^)/>おおる
思いこみとはすごいもので・・・富木常忍さんと日蓮聖人が6歳しか歳が
違うってことを、昨日知りました<おひおひっっっ ヾ(-_-;;
どなたか・・・年齢差を対比できる一覧持ってませんか?(^^;)
00222 00/05/18 23:16 Eisai              (発言者削除)
00223 00/05/18 23:18 Eisai              茂田井教亨先生御遷化?
5/11 に茂田井教亨先生が御遷化という噂を聞きましたが本当なのですか?
00224 00/05/19 20:43 紫蘭               RE:00211 関西遊学の道を歩く(だけ)
 どもっ (^-^)/>Eisaiさん
> 比叡山に遊学しておよそ10年目くらいでしょうか。丁度この頃、畿内の諸
>山を巡られているようですね。
7日四天王寺。8日東福寺・泉涌寺・東寺と回ってきました。
家から帰ってくるまで・・・39315歩でした(^^;)
25日高野山。26日三井寺周辺(歴史フォーラムのオフ)を
回ってきます。。。(^^;)
          紫蘭でした。 か し こ
00225 00/05/19 20:44 紫蘭               RE:00223 茂田井教亨先生御遷化?
>5/11 に茂田井教亨先生が御遷化という噂を聞きましたが本当なのですか?
15日が密葬だったそうです。
増円妙道をお祈りいたします (-人-) 合掌
        紫蘭でした。 か し こ
00226 00/05/20 18:58 きく               RE:00221 日朗、日興は同世代
 紫蘭さん、こんにちは。きくです。
>思いこみとはすごいもので・・・富木常忍さんと日蓮聖人が6歳しか歳が
>違うってことを、昨日知りました<おひおひっっっ ヾ(-_-;;
>
>どなたか・・・年齢差を対比できる一覧持ってませんか?(^^;)
 それぞれの門弟達、それから同時代の人達の活動時期が一目でわか
る表があると便利ですね。最近はいろいろな基礎研究が進んできまし
たから、どこかの大学のゼミなどで作っているかもしれませんね・・・。
(最近は仏教系の大学でなくてもさかんなようです。)
 六老僧の一人、日昭さんなんか、長生きですね。日朗、日興は同じ
くらいの歳ですから、二人は同世代、日向は十歳くらいの差、波木井
氏や南条氏、四条氏、それぞれの年齢も比べてみると興味あることが
わかるかもしれません。
 阿闍梨号を研究している人もいるようです。日蓮聖人在世中に阿闍
梨号を持っていたのは4人ですが、その持った順といつ持つようになっ
たのか、そして、日蓮聖人没後の阿闍梨号・・・。なぜ阿闍梨号を付
けたのか、これは大きな問題をはらんでいると思います。
 それから、最明寺入道北条時頼が仏教各宗に偏見のない人物であっ
たというのも、最近の研究ではだいぶあやしいですね。鎌倉幕府や要
人の祈祷の基礎的な調査も行われているようです。それによると、もっ
ぱら東密、真言律、栄西、ということもわっかってきました。天台の、
その根本であるはずの法華は、みごとにカットされてしまっているの
です。ようするに都から流れてきた権威者と、新しい権威、臨済禅と
いうのに鎌倉幕府は飛び付いたのですね。都に対する劣等意識の裏返
しです。
 叡山にのぼり、天台を実際に学んできた者、日蓮聖人にはゆるせな
かったのでしょうね。(これは道元禅師が建長寺を捨てて、越前へ去っ
たのも、あるいは似たようなものっだかもしれません。)
 これは仏像でもそうです。三浦氏や北条氏が競って都から来た仏師
に仏像を作らせます。土紋という模様の様式も東国独特なのですが、
今日、鎌倉時代の特徴をよくあらわしていてたいへん美しい、などと
いいかげんなことを言っていますが、たぶんその時代の都人達からは、
おかしなものだったでしょう。これも同じように、都に対する劣等意
識の裏返しです。
 それから、Eisaiさんが雑乱勧請のことを言っておられましたが、日
本から神様が去ってしまった、と日蓮聖人はさかんに言ったわけですが、
また四条金吾に正しい信仰を持つ者にはまたやってきて加護してくだ
さる、というようなことも、はっきりと言っています。すると、これ
もまた真です。京都に布教した日像さんの曼荼羅の写真を見ましたが、
仏尊目録みたいに、ほとんどすべての神仏の名前がありました。
 要は、その後ろに十界曼荼羅の姿があるかどうか、祈る者はきちん
と意識しているかどうか、なのではないか、などとも考えてみました。
 日蓮聖人は相手をよく見ていますね。どうしたら理解できるか。そ
れぞれの門弟、檀越に、何を伝えたのか、どうしてそのように言った
のか、よく見ていけば、案外わかることが多いのではないかと思いま
す。
 私は専門が文学の方ですから、日蓮聖人が使った言葉、東国の言葉、
女性の言葉、庶民の言葉がおもしろいです。
00227 00/05/22 08:47 Eisai              RE:00224 re 関西遊学の道を歩く(だけ)
 > 7日四天王寺。8日東福寺・泉涌寺・東寺と回ってきました。
 私の場合、大阪近郊に住んでいて、京阪神の古刹にお参りする機会ってない
ですね。
 四天王寺の近くの大阪の電脳街たる日本橋まではよく行くのですが。
 決して排他的な気持ちはないつもりですが、足を運ぶのは天台か日蓮系のお
寺ばかりです。
 先月の地元JC(青年会議所)の例会が尼崎の本興寺(法華宗大本山)であ
りました。
 近所に居りながら初めて堂内に入りましたがそれはそれは立派でした。
 > 家から帰ってくるまで・・・39315歩でした(^^;)
 有酸素運動を心がけられているのですか?
 註・・・紫蘭法尼はそんな御体形ではありません(念のため (^_^; )
 > 25日高野山。26日三井寺周辺(歴史フォーラムのオフ)を
 > 回ってきます。。。(^^;)
 お忙しそうですね。
 法務とご主人と子育てインターネットとオフミ・・・時間管理が大変そうで
すね。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00228 00/05/22 09:02 Eisai              RE:00225 茂田井教亨先生御遷化?
 > 15日が密葬だったそうです。
 > 増円妙道をお祈りいたします (-人-) 合掌
 そうだったんですか。
 茂田井先生の独特のパイプの臭い、何を読まなくても本尊抄を読みなさい!
のお声。
 布教研修所や勧学院などで受けた薫陶は心の宝となっております。
増円妙道位隣大覚、報地荘厳報恩謝徳。
若親近法師、速得菩薩道、随順是師学、得見恒沙仏。
合掌
00229 00/05/28 10:39 紫蘭               RE:00227 re 関西遊学の道を歩く(だけ)
 どもっ (^-^)/>Eisaiさん
> 四天王寺の近くの大阪の電脳街たる日本橋まではよく行くのですが。
あはあは・・・しかし、まっすぐな道の右が四天王寺。
左が一心寺という表札には、ちょっと笑ってしまいました(^^;)
パンフレットに「天台宗より”独立宣言”という文字には大爆笑。
供養するお堂が4つあり、そこでしてもらった経木塔婆を流すお堂があって、
浮いてきてのを見て「浮かばれましたなあ」というのが「お約束」なんだそう
な・・・さすがベタベタの大阪でおます(^▽^)
> 決して排他的な気持ちはないつもりですが、足を運ぶのは天台か日蓮系のお
>寺ばかりです。
排他的ではなくても、よほどの用事がないと、他宗のお寺っていかないですねえ。。。
> 先月の地元JC(青年会議所)の例会が尼崎の本興寺(法華宗大本山)であ
>りました。
> 近所に居りながら初めて堂内に入りましたがそれはそれは立派でした。
おおっ、数珠丸は見られましたか?<私も一度行ってみたい(*^-^*)
> > 家から帰ってくるまで・・・39315歩でした(^^;)
>
> 有酸素運動を心がけられているのですか?
> 註・・・紫蘭法尼はそんな御体形ではありません(念のため (^_^; )
ははは・・・今回は、途中で万歩計(息子のポケットピカチュウ)の電池が切れてし
まいまして、よくわからないのですが・・・倍近いと思います(爆)
>
> > 25日高野山。26日三井寺周辺(歴史フォーラムのオフ)を
> > 回ってきます。。。(^^;)
>
> お忙しそうですね。
25日は高野山での日蓮宗近畿修法師会の法要(日蓮聖人が勉強したお寺です)・法
華寺(元・東寺の塔中。日蓮聖人が蓮長だった頃から懇意の真広法印のお寺だったの
が、身延まで日蓮聖人に会いに来られて、そのまんま・・・東寺の塔中なのに、日蓮
宗のお寺にしてしまったという)・妙堯寺・妙顕寺で宿泊。
朝起きて雨の中、妙覚寺に行ってから大津へ。
三井寺(園城寺)・昼食は噂の円満院(笑)・義仲寺(芭蕉の墓もあり)・建部大
社・石山寺でした(他にも石碑など)
めっちゃ足が痛いです〜〜〜〜〜(爆)<左足をかばったのか右足が
       紫蘭でした。 か し こ
> 法務とご主人と子育てインターネットとオフミ・・・時間管理が大変そうで
>すね。
00230 00/05/29 09:02 Eisai              RE:00229 一心寺への納骨
紫蘭さん、おはようございます。
 > あはあは・・・しかし、まっすぐな道の右が四天王寺。
 > 左が一心寺という表札には、ちょっと笑ってしまいました(^^;)
 一心寺さんに納骨したいという人は一時多かったですね。
 うちのお寺の信徒にまでいたものです。
 宝塚の中山さんにも納めたいという人も多かった。
 同じ宗旨なら止めないのですが・・・。
 うちに宮大工にお願いした木造の納骨堂が出来てから、そういう説得は少な
くなりました。
 永代納骨でも経済的負担がないように設定しているのも功を奏しているのだ
と思います。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00231 00/05/29 09:26 Eisai              RE:00229 日蓮聖人は数珠丸を所持されたの
 > おおっ、数珠丸は見られましたか?<私も一度行ってみたい(*^-^*)
 本興寺さんでは、
 方丈(重要文化財)の中でJCの例会をさせていただきました。
 建築手法も、衾の絵、猊座の厳かさも立派でした。
 さすが室町時代に寺内町を形成したお寺です。
 尼崎は中世
京都 - 江口 - 神崎川 - 尼崎 - 海運により諸国へ
という海運の要の都市で、堺のような自治都市を形成して賑わっていたようで
す。
 その富が、本興寺(法華宗大本山)、長遠寺という重要文化財に指定される
ような名刹の伽藍を誕生させたのでしょう。
 ※長遠寺(ぢょうおんじ 日蓮宗 京都以西に最初に出来た日蓮系寺院)
 ところで、
 数珠丸って本当に日蓮聖人所持の刀なのですか?
 所持というからには
持っていること。携帯すること。 (広辞苑)
ということで携行していたという形になると思います。
 身延入山に際して波木井実長公より賜っただけと考えたりもするのですが。
 二尺七寸(≒90cm)もある真剣を素人に振り回したり出来たでしょうか。
 護身とはいえ坊さんが刀を携行したりしたのでしょうか?

 > めっちゃ足が痛いです〜〜〜〜〜(爆)<左足をかばったのか右足が
 大怪我をされて間もないのですからお大事に。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00232 00/05/29 20:40 川蝉               RE:00231 日蓮聖人は数珠丸を所持された
 Eisaiさん、紫蘭 さんへ
「日蓮聖人遺文辞典」にある「弥源太殿御返事(定本805・真無)」の解説を見て
みました。
弥源太殿がご祈祷の料として太刀二振りを送った事に対しての礼が述べられている御
書で、この太刀が本興寺に格護されている国宝の「数珠丸」と云われているとありま
した。
「御祈祷のために御太刀同じく刀あわせて二つ送り給はて候」とあるので、弥源太殿
が刀にお経を籠めて浄めてもらう依頼をしたのかな?とか、聖人に御祈祷用の刀を差
し上げたのかな?などと勝手な想像をしていた事があります。
中村元博士の辞書に「戒刀」の項があって、
1,袈裟等を裁断するための小刀。
2,たしなみとして所持する刀。
とありました。
いざと云う時の防衛の為に身辺に置かれていたのでしょうかね。
紫蘭 さん実に活発ですね。私など年寄りの鬱傾向かなと自分でも思うほどです。関
西巡拝の書き込み、楽しいです。
00233 00/05/29 20:40 川蝉               RE:00231 日蓮聖人は数珠丸を所持された
 
00234 00/05/30 08:37 紫蘭               RE:00232 日蓮聖人は数珠丸を所持された
 どもっ (^-^)/>Eisaiさん & 川蝉さん
  
>弥源太殿がご祈祷の料として太刀二振りを送った事に対しての礼が述べられている御
>書で、この太刀が本興寺に格護されている国宝の「数珠丸」と云われているとありま
>した。
それが「数珠丸」って話は私も聞いたことがあります。
刀を「所持」していたからといって、本人が使うとは限らないと思います。
あれだけの武士達が檀越なのですから、近侍を派遣していたでしょうし、
「いざという時は、この刀で日蓮聖人をお護りするように」とかなんとか(^^;)
所持=携帯と限らないのは「**さんが所持している倉庫」だからといって、
**さんが倉庫を担いで歩いているわけではないという・・・理屈ですが(^^;)
         紫蘭でした。 か し こ
00235 00/05/30 22:02 Eisai              RE:00226 時代時代によって
きくさん、こんばんは。
 > >どなたか・・・年齢差を対比できる一覧持ってませんか?(^^;)
 >
 >  それぞれの門弟達、それから同時代の人達の活動時期が一目でわか
 > る表があると便利ですね。
 エクセルで作ろうとして頓挫しました。
 私の場合は、使い慣れないエクセルより、
 N88日本語BASIC で作った方が早いかも。
 でも再配布しにくいなぁ・・・。
 時代遅れ・・・・。
 >  阿闍梨号を研究している人もいるようです。日蓮聖人在世中に阿闍
 > 梨号を持っていたのは4人ですが、
 4人とは誰ですか?
 日蓮聖人が授与されたのですか?
 何故、院号ではなく阿闍梨号なのでしょう。
 当時・・・・院号は恐れ多かったのかな?
 それも時代か・・・・。
 > ぱら東密、真言律、栄西、ということもわっかってきました。天台の、
 > その根本であるはずの法華は、みごとにカットされてしまっているの
 > です。ようするに都から流れてきた権威者と、新しい権威、臨済禅と
 > いうのに鎌倉幕府は飛び付いたのですね。
 天台法華は対抗する京都方の権威。
 真言は祈願になくてはならないもの。
 当時の禅は大陸から舶来の目新しい文化を内包した最先端な流行。
 当時という時代は・・・・そんなところなのでしょうか。
 > 今日、鎌倉時代の特徴をよくあらわしていてたいへん美しい、などと
 > いいかげんなことを言っていますが、たぶんその時代の都人達からは、
 > おかしなものだったでしょう。
 戦後から平成期に造立された伝統宗派の大寺院の仏像もなんか特徴あったり
しませんか?
 おかしなものとは申しませんが・・・今までと違う気がします。
 手を合わすとき若干の戸惑いを感じます。
 恐らく超一流の仏師によるものなのでしょうね。
 評価は数百年後にまかせましょう。
 > もまた真です。京都に布教した日像さんの曼荼羅の写真を見ましたが、
 > 仏尊目録みたいに、ほとんどすべての神仏の名前がありました。
 そうなんですか・・・。
 独特のお題目にばかり眼がいってしまって気付きませんでした。
 日像さんの大本山妙顕寺さんの御本尊(木造)の神祇は四天王だけだったよ
うな?
 時代はかなり後代になりますが、江戸初期の私どもの縁祖である隆源院日莚
上人(身延歴代)のお曼荼羅を三例ほどまとめて拝する機会がありましたが、
日蓮聖人が中心に位置せず、日蓮聖人と天台大師が、同じ大きさの文字で、左
右対称に同じ高さで並んで勧請されていました。
 かなり天台教学に傾倒されていたのでしょうか。
 時代時代によって流行るものがちがうのですね。
 でも、変えてはならないものは堅持しなくては・・・。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00236 00/05/31 17:11 川蝉               RE:00235 時代時代によって
 Eisaiさん横から失礼します。 
> 4人とは誰ですか?
> 日蓮聖人が授与されたのですか?
> 何故、院号ではなく阿闍梨号なのでしょう。
> 当時・・・・院号は恐れ多かったのかな?
> それも時代か・・・・。
中村元辞書には
「阿闍梨は小乗仏教では授学の身の事。師範となり教授する高徳の僧の事。
日本では天台宗と真言宗の僧官。また、真言の秘法を授ける僧職の称号。修法の導師。
高僧の敬称。或いは単に弟子を教え人の師となる高徳の僧をもいう」
とありました。
「本化聖典大辞林」には
「御門下に用いたのは、みな道の師たり得る年齢・人格・法臘・学解等の資格を十分
に認定された者に対して許されたものの如し」
とありました。
弟子を教え人の師となる高徳の僧と云う意味での称号のようですね。
 すると阿闍梨号をつけていない日頂上人と日向上人は、まだ資格が十分と認められ
ていなかったのですかね?
> 戦後から平成期に造立された伝統宗派の大寺院の仏像もなんか
>特徴あったりしませんか?
> おかしなものとは申しませんが・・・今までと違う気がしま
>す。
確かに奈良・平安の仏像に較べると、気品がなく顔つきが俗ぽっく感じます。高橋智
遍師が「いわゆる、多造塔寺堅固時代が過ぎた後に造られた仏像、奈良平安時代の仏
像と較べると芸術的に一段落ちる」と語っていたことを記憶しています。
00237 00/05/31 21:00 きく               (発言者削除)
00238 00/05/31 21:07 きく               RE:00235 阿闍梨号
Eisaiさん、こんばんは。きくです。
> 4人とは誰ですか?
> 日蓮聖人が授与されたのですか?
> 何故、院号ではなく阿闍梨号なのでしょう。
 日昭、日朗、日興、日持の4人だそうです。(以下、「上人」の語
を省略させていただきます。)
 日蓮聖人に入門する以前から阿闍梨号を持っていたのが日昭。初出
は文永6年。日朗は弘安元年から2〜3年までの間。大進阿闍梨の死
没と重なります。日興が日蓮聖人の最晩年、弘安5年。日持はよくわ
かりませんが、たぶん日興とそれほど差のない時期だと思います。(同
時かも知れません。)
 日向、日頂は、日蓮聖人示寂直後にはまだ阿闍梨号は持っていませ
ん。
 阿闍梨号はニックネームではありません。そんなに簡単なものでは
ありません。それなりの重い意味があります。
 観応2年(1351年)10月13日に書かれた日祐の曼荼羅には、
天台沙門日祐とあったことから、後に宗門から批判があったことが記
録(『伝灯録』)にあるそうです。日祐は日昭門ですが、初期の日蓮
聖人門下には天台法華の意識が強くあったことを示す資料だと思いま
す。
 日蓮聖人は門弟達に大師講を行うよう、しばしば言っています。ま
た、日蓮聖人没後、それぞれの六老僧のお弟子さんの中に、阿闍梨号
を持つ人達が続きます。日興門下の富士派にも多く見られます。
 飛躍した言い方かも知れませんが、日蓮聖人も、自分が天台の法華
の本当の意味の継承者だと思っておられたのではないかと思います。
しかし、もはや密教が主流となった天台宗からは、それは異端としか
見られなかったのではないか、と思います。
 学者によれば、阿闍梨号は初期日蓮教団の、門弟達のそれぞれの立
場、教団の中での性格を理解する、手がかりにもなるそうです。
 ところで、池上本門寺の祖師像をはじめ、いくつかの初期の祖師像
が、すでに克明に調査されているようですね。それによって、初期日
蓮教団から、中世近世へと時代によって、教団がどのように変化して
行ったかということがわかるそうです。
 池上本門寺の祖師像の成立の経緯から、日興、日持、日向の関係、
日興の身延離山のもう一つの側面、むしろこちらの方が本当の理由だっ
たのでしょうが、神祇観と本迹一致勝劣の問題が見えてくるのだそう
です。この祖師像が、日持、日法によって作られたということが大事
な意味を持つのだそうです。
 また、初期の祖師像は多くは結跏趺坐のようです。日蓮聖人在世中
のお姿を知っている者が結跏趺坐で造像していることも、何をかを示
しているようです。(止観ではないでしょうか。)
> 戦後から平成期に造立された伝統宗派の大寺院の仏像もなんか特徴あったり
>しませんか?
> おかしなものとは申しませんが・・・今までと違う気がします。
> 手を合わすとき若干の戸惑いを感じます。
> 恐らく超一流の仏師によるものなのでしょうね。
> 評価は数百年後にまかせましょう。
 なんだか見せよう見せようというような、そんな感じが私にはしま
す。
 新しいものは作らないで、修復に心血を注いでいる人もいます。い
いな、と思います。今の時代は、私など教師でも、脇役や裏方さんで
はなく、みんな主役になることばかりをすばらしいこととして教えま
す。無理がありますね。疲れてしまいます。
> 時代はかなり後代になりますが、江戸初期の私どもの縁祖である隆源院日莚
>上人(身延歴代)のお曼荼羅を三例ほどまとめて拝する機会がありましたが、
>日蓮聖人が中心に位置せず、日蓮聖人と天台大師が、同じ大きさの文字で、左
>右対称に同じ高さで並んで勧請されていました。
> かなり天台教学に傾倒されていたのでしょうか。
 そうかも知れませんね。
 あの正宗の曼荼羅にもいくつかあるようですね。ずっと一つのよう
なことがいわれていますが、どうなのでしょう。
 祖母の法事の時、じろじろ目を向けるのはよくないとは思いました
が、ながめてしまいました。
 私の家は曹洞と、もう一つ、先祖のお墓が陣門流の法華のお寺にあ
ります。先日懐かしくなったので電話をかてみました。本成寺のこと
を話して下さったので、少々興味がありますので、陣門流のこともお
聞きしたいと思っています。
00239 00/06/01 14:46 川蝉               RE:00238 阿闍梨号
 きくさん今日は。
在家でありながら詳しいので驚いています。
>日蓮聖人も、自分が天台の法華の本当の意味の継承者だと思って
>おられたのではないかと思います。
外相承では天台・伝教・日蓮とているので、天台正統・正統天台復興と云う意識であ
り、内相承から云えば、天台未顕未弘の法華本門の義を広めるとの意識であったと推
測します。
>また、初期の祖師像は多くは結跏趺坐のようです。日蓮聖人在世
>中のお姿を知っている者が結跏趺坐で造像していることも、何を
>かを示しているようです。(止観ではないでしょうか。)
「十章抄」(昭定4900・真)等にもあるように、佐渡前では、円の行は唱題であ
るが、智者には一念三千の観法の並行を許していると受け取れる言葉もあります。
しかし、観心本尊抄になると受持唱題を正行とし、事観としているとの事です。
「十章抄」(492頁)や「法門可被申様之事」(450頁)に
「法華宗の者がたとえ開会の念仏でも念仏を唱えて見せれば、傍らの者は法華を捨て
た人と見るであろう(取意)」との旨を書いています。
天台止観を行じている姿を見せたら、止観行も末法適応の行法なのかな?と信徒に誤
解を与えることを危惧して、止観行を行われなかったのではと推測します。もっとも
修学中は行じられたことでしょうが。
いつ頃から読経唱題中は正座と云う事に成ったのでしょうかね?
茶道が盛んになってから、正座が目上や神仏に向かう時の礼儀となったのかなと?な
どと思っています。
日蓮聖人当時は結跏趺坐或いは半跏趺坐で読経していたのでしょうかね?
>陣門流のこともお聞きしたいと思っています。
私も知らないので「日蓮宗事典」に有る陣門流の項目を読んでみました。
00240 00/06/01 22:07 きく               RE:00239 正座の習慣
 川蝉さん、こんばんは。きくです。
 いつもありがとうございます。私の中の信仰心、と言ったらまった
くデタラメで笑われてしまうかも知れませんが、少しずつたしかなも
のになって行くようで、ご助言、感謝しています。
>外相承では天台・伝教・日蓮とているので、天台正統・正統天台復興と云う意識であ
>り、内相承から云えば、天台未顕未弘の法華本門の義を広めるとの意識であったと推
>測します。
 私も正統天台復興、すなわち法華本門の義を広める意識が、日蓮聖
人の胸の中にはあったと思います。
 天台の入門書を読むと、円珍、円仁、以下数多くの高僧達が登場し
ますが、みな密教の学匠です。天台の方には申し訳ありませんが、今
日の私でも、素朴にどう説明がつくのかよくわかりません。深い真理
や体験があるのかも知れませんが、やはり理解に苦しみます。
 しかし、さらに日蓮聖人は思想的にそこから一歩先に出ていきます。
また、どこまでも現実の人間の世界にかかわるというのが、私が心惹
かれるところなのです。
 今日の私達も、この現実世界、娑婆世界にいる者達です。この世で
救われると言うことは大切なことだと思います。
>「十章抄」(昭定4900・真)等にもあるように、佐渡前では、円の行は唱題であ
>るが、智者には一念三千の観法の並行を許していると受け取れる言葉もあります。
>しかし、観心本尊抄になると受持唱題を正行とし、事観としているとの事です。
 佐渡に流されてから、いやすでに龍ノ口の法難あたりから、日蓮聖
人の思想の最も大切なところが出ていますね。佐渡前では二つのもの
であったものが、ぴったり一つのものになる。そして、この世は穢土
であるけれども寂光土なのだという発想、一人の人間の心が即ち地獄
であり仏の世界でもある。
 唱題が念仏と異なる点はそこなのだし、そこで天台の法華から日蓮
の法華になるのだと思います。(阿闍梨号が見られなくなったあたり
が、日蓮聖人を祖とする教団が、様々な意味で、他教団に対抗できる
まで成長した時期だろうと思います。)
>いつ頃から読経唱題中は正座と云う事に成ったのでしょうかね?
>茶道が盛んになってから、正座が目上や神仏に向かう時の礼儀となったのかなと?な
>どと思っています。
 正座の習慣はやはり茶道からだそうです。鎌倉時代は胡座です。ま
た、鎌倉時代のすぐれた武士の肖像彫刻が残っていますが、胡座かあ
んな格好をしていたらしいです。茶道は禅の影響を多く受けていると
いわれていますが、神道の影響も多く受けています。大日本茶道学会
の田中仙翁さんのよい解説があります。正座の習慣は茶道が神道から
学んだ習慣らしいです。それが近世の武士、町人、さらに一般の規範
的な習慣になったそうです。(正確には茶道でも近世の初期からです。)
ですから、逆に、たとえば平安時代の貴族の絶世の美女といわれる人
でも、足を投げ出したり、崩したり、胡座をかいていたというわけで
す。読経唱題中の正座も案外新しいかも知れません。(たぶん中世末
から近世初期あたりではないかと思います。)
 私の知識はほんの聞きかじりです。宗門とは直接関わりのない人間
ですから、おかしなところはおゆるしください。
 うだつの上がらない教師をしていていますが、ただ、何か今の日本
人の生き方が、あまり幸せではないように思えます。あまり、ではな
く、相当、と言った方がよいかもしれません。
 私個人のことばかりではなく、色々な意味で、日本人の心の規範、
のようなものを鎌倉時代の祖師達に求めたいと思っています。
00241 00/06/09 17:00 Eisai              本土寺のホームページは?
 わたしの住んでいる地方も梅雨入りのようです。
 梅雨といえば紫陽花、紫陽花の有名な日蓮宗のお寺といえば、千葉県松戸市の本土
寺です。
 日蓮宗本山(霊跡寺院)のひとつで日蓮聖人直弟子である六老僧日朗上人の霊跡で
す。
 さてさて、リンクしている寺院の確認をしましたところ、この「本土寺」のホーム
ページが移転しているようなのですが、どなたかURLを御存知ないでしょうか? 
 http://www.t3.rim.or.jp/~howcom/tera/tera.htm
では駄目なようです。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00242 00/06/10 08:36 きく               日朗上人が富士の日興上人と会われた年
 こんにちは。
 ちょっと疑問に感じましたので、書いておきます。
 大石寺第三世日道上人の『三師御伝土代』「日興上人御伝草案」に、
日朗上人が富士、おそらく大石寺を訪れ、日興上人と会われたという
記事がありあす。
「一、日朗上人去ル正中の頃富士山ニ入御あり日興上人と御一同あり、
実に地涌千界の眷属上行菩薩なり、御弟子にてまします貴とむべし貴
とむべし。」
「実に地涌千界の眷属上行菩薩なり、御弟子にてまします貴とむべし
貴とむべし。」と最大級の賛辞をのべています。しかし、読んでいて
不思議な感じがしました。「正中」(1325〜1325)の頃には
すでに日朗上人はいないのです。日興上人の夢の中に現れたのでしょ
うか。日興上人が富士に去ってから「正」の付く年号は「正安」(1
288〜1293)「正和」(1299〜1302)。日朗上人は元
応2年(1320)に没しています。
 たぶん「正安」か「正和」のことを書き誤ったか、記憶違いではな
いかったかと思います。
 しかし、その他、「一、鎌倉五人ノ天台沙門ハ謂レなき事」「一、
一躰仏ノ事」「一、天目房ノ方便品読ム可からずと立ルハ大謗法ノ事」
には、理解しきれない部分がありました。
 なにも富士派を批判しているわけではありませんが、当人なら間違
えるはずのないところに誤記と思われる記述が目に付くこと、日有上
人、日寛上人、には重要な文献が多くあるようですが、重要な文献が、
写本や聞書であること、どうしてそうなのか、素朴な疑問を感じます。
00243 00/06/10 11:05 顯正居士           RE:00241 平賀本土寺
平賀本土寺は「さっとば」の『オンライン日蓮宗お寺巡り 』
http://www.raidway.ne.jp/~ben/lot-temple.html
の『平賀・本土寺』
http://www.raidway.ne.jp/~ben/temple/hondoji.html
の他、観光系のサイトに幾つも紹介が見つかります。
上より詳しいのも。公式ホームページは見つかりません。
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/3374/
00244 00/06/10 12:14 Eisai              RE:00243 やっぱり本土寺の公式HPは・・
顯正居士さま
 > 平賀本土寺は「さっとば」の『オンライン日蓮宗お寺巡り 』
 > http://www.raidway.ne.jp/~ben/lot-temple.html
 武蔵坊さんの、HPですね。
 しばらく身延山におられるようです。
 > の他、観光系のサイトに幾つも紹介が見つかります。
 > 上より詳しいのも。公式ホームページは見つかりません。
 そうなんです。
 観光サイトには紹介があるのですが、公式ホームページが消えてしまってい
るのです。
 何ヶ所かの検索エンジンを調べたのですが・・・。
 というわけで、
 私のホームページのリンクから外しました。
 7月ころには、うちのHPも独自ドメインで公開できると思います。
 html や cgi のコンテンツどころか、OSのLinux と格闘中だったりして
遅々として進まないのですが・・。
 > http://www.geocities.co.jp/Technopolis/3374/
 凄いリンク集ですね。
 ブックマークしておきました。
 ▼
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  ̄
00245 00/06/10 14:42 川蝉               RE:00242 日朗上人が富士の日興上人と会
 きくさん今日は。
座布団十枚のヒットですね。
正中一年が朗師滅後五年後とは、いやいや驚きました。
「日興上人御伝草案」は「大石寺に正本在り」と宗学全書に注記してあるので、道師
が「去ル正中の頃富士山ニ入御あり」と記したのですね。伝記ですから年号は特に正
確を期した筈ですから、「正安」か「正和」のことを書き誤ったとは考えられないで
すね。あとは記憶違いと推する外ないですね。
それにしてもどうしてかな?と思われます。
日蓮正宗の方では、どのように説明しているのか興味があります。
学会の「御書辞典」には「晩年には追憶の念にかられて日興上人に対面し大聖人の御
影を拝したりしたが」云々とあるだけでした。
00246 00/06/11 08:50 きく               RE:00245 やはり、不思議ですね。
 川蝉さん、おはようございます。
 見てくださって、ありがとうございます。
 実は、この疑問、おそるおそる出してみたのです。
>「日興上人御伝草案」は「大石寺に正本在り」と宗学全書に注記してあるので、道師
>が「去ル正中の頃富士山ニ入御あり」と記したのですね。伝記ですから年号は特に正
>確を期した筈ですから、「正安」か「正和」のことを書き誤ったとは考えられないで
>すね。あとは記憶違いと推する外ないですね。
>それにしてもどうしてかな?と思われます。
 やはり、不思議ですね。
 その他『三師御伝土代』には、理解しきれない部分もありました。
素朴な率直な感想なのです。
 その他、見ていて、かなり重要な書物なのに、聞書、○○写本大石
寺蔵(又は正本大石寺にあり)、というのが多いですが、見た限りで
は、その○○写本というのが、特定の人名が多いようにも思えます。
不確かなことは言えないので、素人目にはそんなように見えたと言う
ことだけで止めておきます。
 私は、国文学、その中で古典のどれが原典であるのかを探すのが、
専攻でしたので、資料の吟味については気になるのです。私の研究に
ついては、岩波書店や明治書院の古典文学史事典に紹介があります。
傍系の大学出でしたので、伝統的なこの世界ではただそれだけのこと
で野に下りましたしたが、今でも辞書があればなんとか古典が読める
ことと、資料をどうやって見ていくのか、については、いくらかの自
負があります。私のつたない読みでも、それほど誤りがないのではな
いかと思っています。
>学会の「御書辞典」には「晩年には追憶の念にかられて日興上人に対面し大聖人の御
>影を拝したりしたが」云々とあるだけでした。
 学会の「御書全集」の日朗上人の解説も、どなたが書かれたのかわ
かりませんが、安易に過ぎるように思いました。
00247 00/06/11 09:58 顯正居士           RE:00242 日朗上人
は元応2年(1320)正月21日、78歳、池上にて示寂となっています。
一次資料が何であるかは知りませんが。ところで。
執行海秀「日蓮宗教学史」(平楽寺)では、
−興門所伝に依れば、日朗もまた富士に登り、(以下略)−(13頁)
松本佐一郎「富士門徒の沿革と教義」(大成出版社)では「御伝土代」を引き
−無かったことだとは言ひ切れない−(69頁)
と言うだけで、「御伝土代」以外の言及は皆無なんであろうかと推測します。
執行師、松本氏とも、「去正中」がへんなのには気付かれなかったようです!
なお、この時代に興師がおられたのは大石寺ではなく、(重須)本門寺です。
00248 00/06/11 11:12 きく               RE:00247 日朗上人
 顯正居士さん、ありがとうございます。
>なお、この時代に興師がおられたのは大石寺ではなく、(重須)本門寺です。
 日興上人が重須に移ったのは永仁年間、6年らしいですから、「正
安」だとすれば大石寺、「正和」だとすれば(重須)本門寺ですね。
 ところで、現在の富士五山は以前からそこにあったものでしょうか。
中世末から近世という時代は、何だか不思議な時代です。何でもアリ
の世界ですから、近世以降あるものは、簡単には信じがたいのです。
こんなこと言うと、正宗の方達から怒られそうですが、現在の大石寺
はもとからそこにあったものなのか、ふと考えることがあります。(こ
れは、宗を問わず、他の寺院についてもそうですが・・・。)
00249 00/06/12 11:33 川蝉               RE:00248 日朗上人
 きくさん今日は。
「正中の頃」についての、きくさんの発見(気付き)は、もしかしたら、きくさんが
初めての人のようですよ。すごいことですよ。
「富士宗学要集第五巻」にある「日興上人御伝草案」を見ましたが、編纂者の堀師は
「正中の頃」について何にも頭注を付けていません。堀師は誤字や不審な箇所には頭
注で指摘しているのに、何の頭注も記して無いことは、やはり気付ていなかったよう
ですね。
また大石寺65世(昭和三十四年まで)日淳師の「日淳上人全集下巻」の「五老僧の
異解に就いて(大正十四年の論文)」の中に、
「朗師が多年不和の間柄をも顧みず富山に登って興尊に和解を乞ひ時、興尊は己に正
法に帰せんとするを非常に喜ばれしが如くで、道師は次の如くのべられてしゐられ
る」と述べ、「一、日朗上人は去正中のころ」云々の全文を引用しています。(77
2頁)
しかし、「正中のころ」に就いては何の言及もしていません。
やはり気付いていなかったようです。
00250 00/06/12 13:17 顯正居士           RE:00248 寺院の移住
>現在の大石寺はもとからそこにあったものなのか
江戸時代、寺院の移住は大名の改易に伴って少なくはないです。戦国の代だと、
(第一次)法華乱で、京都日蓮宗と細川侯の同盟軍が山科本願寺を落とし、
以後、本願寺は石山に移った経緯もあります。また大石寺のような大本山だと、
農地改革で寺領が相当、没収されたとおもいます。
「本門正宗」
http://www.alphatec.or.jp/~tochihal/index.html
は「と」(トンデモ)ですよ。
00251 00/06/13 21:52 紫蘭               叡福寺へ行ってきました
 どもっ (^-^)/
聖徳太子の御廟のある叡福寺へ行ってまいりました。
御廟の横に、日蓮聖人が7日間参籠したという碑があるというので
探してみたものの、見つからず、山務員の僧侶の方に聞きましたら
親切に教えていただいたのはいいものの・・・
「日蓮宗は、大正時代までキリスト教と同じで弾圧されていたので、
 市井の片隅に隠れていた」<そら、不受不施派でんがな(^^;)
「日蓮宗が有名になったのは、田中智学が出てからだ」
<創価学会でという奴は多いけど・・・それに田中智学は国柱会でんがな(^^;)
「大石寺の山号の【大日蓮華山】の【大日】というのは、大日如来のことだ」<そり
ゃ・・・完全に勘違いでんがな(^^;)<ちなみに、真言宗の僧侶が叡福寺の山務
をしているらしい
いや〜〜〜違った意味で、大笑いして帰ってきました (^◇^;)
      紫蘭でした。 か し こ
00252 00/06/14 07:12 Eisai              RE:00251 叡福寺へ行ってきました
紫蘭さん
 活発ですね。
 > 御廟の横に、日蓮聖人が7日間参籠したという碑があるというので
 どんな碑でした?
 > いや〜〜〜違った意味で、大笑いして帰ってきました (^◇^;)
 私も他宗のこと知らないので勉強しなくっちゃ。
 同じ事を他宗の方に言われているかも。
 でも、自分の宗派のことですら勉強しきれていませんからねぇ。
 毎日の時間配分が難しい。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00253 00/06/14 12:12 紫蘭               RE:00252 叡福寺へ行ってきました
 どもっ (^-^)/>Eisaiさん
> どんな碑でした?
小さい碑なのかと思っていたら、とてつもなく大きい碑でした(^^;)
1区画取っているし、みどりの日には、大阪の日青が法要しているそうです
> 私も他宗のこと知らないので勉強しなくっちゃ。
> 同じ事を他宗の方に言われているかも。
あはあは・・・同じ事を言われてます(爆笑)
でも、聞くは一時の恥。しらざるは一生の恥!
・・・ってなぐあいで、聞き倒してます(笑)
> でも、自分の宗派のことですら勉強しきれていませんからねぇ。
ですねえ・・・日蓮宗事典をくりながら、うへえぇぇぇ・・・となっている毎日です
(大爆笑)
00254 00/06/14 13:05 Eisai              RE:00253 日蓮宗事典の電子化の進捗状態は
 > ですねえ・・・日蓮宗事典をくりながら、うへえぇぇぇ・・・となってい
る
 > 毎日です
 > (大爆笑)
 日蓮宗事典は電子化されるそうですけど、全文検索して該当個所をカット&
ペーストできないとか聞いたことあります。どうなんでしょう。どなたか御存
知ありません?
 決して日蓮宗や日蓮系宗派だけで役立つデータではないと思います。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00255 00/06/14 21:49 かみ               RE:00250 寺院の移住
>顯正居士様
私は素人で、何も知らないくせに時折顔を出して
場はずれな書き込みを繰り返してしまいます、かみと申します。
また、調子に乗ってちょっと、書き込んでみたくなってしまいました。
> 「本門正宗」
> http://www.alphatec.or.jp/~tochihal/index.html
> は「と」(トンデモ)ですよ。
ざっと目を通しました。
これが、「とんでも」であるとして、専門の方から、
「とんでも度」を解説していただきたい気はしました。
さてさて、当HP内のなじみの地名、
天母山行記について思ったことのみを書かせてください。
なじみのある地名にこんな
解釈があるとは知りませんでした。
依田原・・・大石寺・・・身延山説・・・等々
(本旨から脱線していることはお許しの程)
そもそも、沼津に3時に着いて、すぐ出たとして
天母山まで直行で1h、その間諸処寄られた様ですので、
2hとして、5時・・・・厳しいスケジュールですね。
登山道を登って下る形で天母山に入ったのでしょうか・・・
>天母ヶ原
という命名をされていますが、
登り口から参道を歩かれれば、「山」の命名は
実感できると思いますが。
そこから、北山本門寺・大石寺・西山本門寺・・・・
それぞれ長い参道、広い境内のそれぞれの雰囲気を味わいながら
歩かれたのだろうか・・・・何か、寂しいです。
この界隈、日代上人(という方)にちなむと思われる
「代○寺」て結構多いのだけど、
呼び捨てで、歴史に対して許せない事があるのでしょうか?
なんて、歴史・立場をまったく知らないくせに
こんなのはまったくの亜流の読み方でしょうけど。
ただ、こういうお寺の見方、許さるものでしょうか?
とは思いました。
あくまでも、純粋な感想(レベルのもの)です。
議論を求められても、答えるすべは無いのですが。

00256 00/06/15 13:03 Eisai              『法華和歌集』を御存知ないですか?
 私たちの編集している雑誌に、法華を詠んだ和歌を載せようという企画があります。
 たまたま、この企画に打って付けの、慈円和尚の『法華和歌集』二巻がうちの寺に
伝わっています。といっても、元禄期の写本ですが・・・(^_^;。
 この慈円和尚は鎌倉時代前期の天台座主で、歌人としても後鳥羽上皇に認められ
『新古今和歌集』にも多く歌が掲載されているそうです。
 さて、困ったことに、この『法華和歌集』を調べようとしているのですが、資料が
ありません。どなたか『法華和歌集』について御存知ないでしょうか?
 『新古今和歌集』や『拾玉集』の抜粋なのかな?
 何でも結構ですので教えてください。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00257 00/06/15 16:14 波木井坊           おひさしぶりです。Eisaiさん&紫蘭さん。
おひさしぶりでございます。たいへんご無沙汰しておりました。
ご存知かと思いますが、私”白川ネット”で暴れておりまして、やっと公示日
も迎え、手がすくようになりました。
一時期、学会員さん多数の占領がありましたが、中盤からは何とか押し返しました。
一人で数人を相手にするというのはやはりたいへんですね。少々疲れました。
私の”オブチ頭七分”発言で紫蘭尼さんからもたいへんきついお叱りを受けました。
私は”今までの学会教義は裏を返すと”こういう解釈だって言える”というつもりで
言ったのですが、若手の学会員さんは”同調してしまう始末。チャットなどで、
”波木井さんの言っていることは間違ってない”なんて若手学会員の男子部あたりから
言われるとは思っておりませんでした。(汗)
13日、私は反動からか、虚脱状態に陥りました。(爆)やっと今日辺りから”他の
目的”にきずきまして、(笑)夜な夜なネット社会を彷徨しはじめる元気がでてまいり
ましたです。
先週、総本山にいきました。ある役僧の方に、ノッケから”波木井坊さんキョーギでい
きましょうよ。キョーギで!”(爆)と言われてたじろぎました。(爆笑)
外からも内からも”キョーギ!キョーギ!”といわれると、(笑)波木井坊はノイロー
ゼになりそうです。(爆)
00258 00/06/15 16:27 波木井坊           川蝉さん。正信会の興風で、石山未公開文
川蝉さんおひさしぶりです。
正信会の興風13号で、石山未公開文書の写真版がでたとか。なんでも日目師は、
日郷師に相承がされていた、という内容の文書が石山に秘蔵されており、それの
写真版が一部、正信会の興風談所から公開されたとか。文書の名前は公表されな
かったという話です。まだ私も読んでいません。
今週中に 興風13号を取り寄せてみようと思いますが、これが真筆ならえらいこと
になりそうです。日道さんはどうなるのでしょうか。
私は以前からいろんな板で、東光寺ー>小泉久遠寺ー?保田妙本寺の日郷さんの動き
を注目している発言をしておりました。東光寺の弘安二年十月の板本尊のこととか、
保田にある東光寺の御影”正御影”のこととか。
なんかこう、おもしろくなってきました。
00259 00/06/15 18:22 Eisai              RE:00257 おひさしぶりです。Eisaiさん&
これはこれは波木井坊さん、こんにちは。
 > ご存知かと思いますが、私”白川ネット”で暴れておりまして、
 >やっと公示日 も迎え、手がすくようになりました。
 選挙期間中は控えなければならないのですか?
 にしても、各政党やマスメディアが選挙の争点を言っていますけど、大きな
争点を忘れていません。
 それを言わせない何かがあるのでしょうか?
 それを言わない雰囲気が何か不気味です。
 O骨氏やY崎氏は活動されているのでしょうか?
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00260 00/06/15 23:26 波木井坊           RE:00259 おひさしぶりです。Eisaiさん&
>これはこれは波木井坊さん、こんにちは。
>
> > ご存知かと思いますが、私”白川ネット”で暴れておりまして、
> >やっと公示日 も迎え、手がすくようになりました。
>
> 選挙期間中は控えなければならないのですか?
今までは、公職選挙法にインターネットの規制はありませんでしたが、
(前回の参議院や統一地方選)今回の衆議院選挙からは規制がかかりました。
公示から投票日まで、全ての発言はできません。ただしそれ以前に書き込まれた
ものは基本的にOK!です。ただし直接投票を求めるようなものはいけません。
”〜に清き一票を御願いします”は立候補者も投票者もダメ。”得票率をみんな
であげよう”とか立候補者が以外が”私は〜に投票します”という意志表示まで
がぎりぎりラインです。
> にしても、各政党やマスメディアが選挙の争点を言っていますけど、大きな
>争点を忘れていません。
> それを言わせない何かがあるのでしょうか?
> それを言わない雰囲気が何か不気味です。
>
> O骨氏やY崎氏は活動されているのでしょうか?
>
> ▼
> |\(*^^)v  Eisai
>  ̄
O骨氏やY崎氏は活動されております。(爆)困ってます。(笑)
O骨さんは誠実だけど、怨念でモノを書くし、一番肝心な部分を抜いちゃうし。
Y崎氏は相変わらず暗躍してますね。
一番困るのは、やはり妙観講の連中です。「貫く会」の活動員はほとんどがここ
ですから。公明党がやっきになってビラ撒きした連中を刑事告訴してまして、正宗
僧侶もいれて5〜6名が今週になって刑事事件として告発されてますよ。
うちは近ずかないほうが・・・。くわばらくわばら、です(爆)
とにかく学会とは”全面戦争”を避けながらうまく批判しなくちゃいけません。
だからといって正宗批判もキチッ!とやる。10年前まで”同じ穴のムジナ”だった
わけですから。石山の”被害者ぶりっこ”にもだまされてはいけいないです。最近の
正宗
は妙観にしろ顕正会にしろ、カルト度を増してます。三方面作戦ですね。
正信会の若手グループはおもしろいです。非常に研究してまして、おもしろい論文を
たくさん
出してきてます。
00261 00/06/16 08:24 Eisai              RE:00260 政教分離だから選挙中でも大丈夫
 > > >やっと公示日 も迎え、手がすくようになりました。
 > >
 > > 選挙期間中は控えなければならないのですか?
 >
 > 今までは、公職選挙法にインターネットの規制はありませんでしたが、
 > (前回の参議院や統一地方選)今回の衆議院選挙からは規制がかかりまし
た
 政教分離なんだそうですから、某宗教団体の過去や現在の問題に対する言及
は問題にならないのではないかと考えたのですが・・・。
 > うちは近ずかないほうが・・・。くわばらくわばら、です(爆)
 > とにかく学会とは”全面戦争”を避けながらうまく批判しなくちゃいけま
せ
 何れ時機を見極めて対処すれば批判が大きな効果をあげるときもあるかも知
れません。
 少しずつ会員も減ってきているのではないかな?
 近づかず、かといって無関心にはならず、継続的に対策はする・・・という
ところでしょうか。
 それよりも、今は何故にマスコミや政党が特別な宗教団体の関わりを争点に
しないかということです。
 > 正信会の若手グループはおもしろいです。非常に研究してまして、おもし
ろ
 > い論文をたくさん出してきてます。
 もし御存知でしたら、場所(URL)を教えてくださいね。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00262 00/06/16 23:44 波木井坊           RE:00261 政教分離だから選挙中でも大丈夫
> > > >やっと公示日 も迎え、手がすくようになりました。
> > >
> > > 選挙期間中は控えなければならないのですか?
> 政教分離なんだそうですから、某宗教団体の過去や現在の問題に対する言及
>は問題にならないのではないかと考えたのですが・・・。
批判されると”一体”になって反撃にかかりますね。(爆)
> 何れ時機を見極めて対処すれば批判が大きな効果をあげるときもあるかも知
>れません。
> 少しずつ会員も減ってきているのではないかな?
> 近づかず、かといって無関心にはならず、継続的に対策はする・・・という
>ところでしょうか。
400万といいたいですけど、実質アクテイブな活動は300万前後だと思います。
聖教新聞の購読数が500万ぐらいです。
彼らは大幅な教義変更をするところにさしかかっております。このままでは体制が
維持できない、だから連立してなんとか体面をもたせようとしているように見受けら
れます。
日蓮宗のすべきことは、徹底的に富士派の教学を破折すること。しかしうかつに石山
批判を
すれば、彼らの教義変更のよいきっかけになってしまい、とんでもないところへとん
でって
しまう可能性もあります。学会は、日蓮宗が石山批判をしてくれることに、一種の権
威付け
を感じているようです。学会が石山を批判しても謀略として見られてしまいまいます
が、日蓮宗
が批判することは説得力がある、と見ています。
だから批判の方法や、やり方が難しいですね。ただ言えるのは妙観ラインの言動には
いっさい
のらないこと。妙観はいまだ盗聴事件訴訟の審理中。正宗にとって、日蓮宗と学会が
大喧嘩して
くれれば、40万なにがしの弱小教団に転落した正宗にとって漁夫の利。それを目的
としている
節があちことにあります。
> それよりも、今は何故にマスコミや政党が特別な宗教団体の関わりを争点に
>しないかということです。
マスコミ各社に電話が殺到する。すぐ訴訟問題に発展する。それにおそろしいのが、
学会批判
の記事をかこうとすると、ゲラ刷りがもれちゃう。こういうのが枚挙にいとまがあり
ません。
> もし御存知でしたら、場所(URL)を教えてくださいね。
>
> ▼
> |\(*^^)v  Eisai
>  ̄
http://niigata.cool.ne.jp/niigata/1038/hujinennpyou1.htm
nbさんのHPです。彼はインターネットでも数少ない正信会です。
00263 00/06/17 08:09 紫蘭               RE:00254 日蓮宗事典の電子化の進捗状態は
 どもっ (^-^)/>Eisaiさん
昨日は、タッチオフみたいになってしまいましたね。
そんなもので・・・うっかりと、これの返事を言うのを忘れてしまってました(^^
;)<おばか
> 日蓮宗事典は電子化されるそうですけど、全文検索して該当個所をカット&
>ペーストできないとか聞いたことあります。どうなんでしょう。どなたか御存
>知ありません?
来月、作る方にお会いしますので・・・聞いておきますです(^▽^)
> 決して日蓮宗や日蓮系宗派だけで役立つデータではないと思います。
ですねえ。
でも、できあがる頃には・・・私の仕事は終っているとおもう(爆)
          紫蘭でした。 か し こ
00264 00/06/17 17:42 Eisai              RE:00263 日蓮宗事典の電子化の進捗状態は
紫蘭さん、こんにちは。
 > 昨日は、タッチオフみたいになってしまいましたね。
 時間が無くてスミマセンでした。
 あの後、青年会議所の総会があって、会議の梯子でした。
 少し疲れました。
 椅子にずっと座っているだけなんですが・・・。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00265 00/06/17 18:21 紫蘭               RE:00264 日蓮宗事典の電子化の進捗状態は
 どもっ (^-^)/>Eisaiさん
> あの後、青年会議所の総会があって、会議の梯子でした。
> 少し疲れました。
うへえ・・・苦行でしたね〜〜〜(^◇^;)
そーそーCDのコピーペーストできないという話
どこから出てきたのか知りませんが「そんな話は聞いていない」そうです(^^;)<ち
ょうど用事があって電話してみたついでに聞きました
       紫蘭でした。 か し こ
00266 00/06/17 19:03 Eisai              RE:00262 政教分離だから選挙中でも大丈夫
 > 彼らは大幅な教義変更をするところにさしかかっております。
 大幅ですか・・・。
 彼らの現在の教義を示したHPなんか御存知ですか?
 まさか富士教学を捨てたりして?
 単に富士教学の在家仏教化作業なのか・・・。
 > 日蓮宗と学会が大喧嘩してくれれば
 仰るように正宗 vs 創価学会には私たちは中立であるべきと思います。
 富士系各派の活動家とやり合っていると、知らないうちに過剰反応をしてし
まう。
 そうなって喧嘩などすれば彼らの思うつぼでしょうね。
 怖がらず、怒らず、継続的にでしょうか。
 自らを正しながら、彼らの教学と過去の行動について客観的な批判を冷静に
続けるのが良いのかなと思います。
 > 40万なにがしの弱小教団に転落した正宗
 以前に比べればそうかも知れませんが、決して弱小ではないと思います。
 (数)×(質) を考えると、公称数百万人の他の既成教団よりも力がある
のではないでしょうか?
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00267 00/06/17 19:03 Eisai              RE:00265 日蓮宗事典の電子化の進捗状態は
 > そーそーCDのコピーペーストできないという話
 > どこから出てきたのか知りませんが「そんな話は聞いていない」そうです
 了解。
 では、必殺OCRの嵐作戦をしなくて良いのですね。
 御遺文事典(歴史編)もCDになるのかな?
 まあ、そのうち・・・。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00268 00/06/17 19:46 川蝉               RE:00258 川蝉さん。正信会の興風で、石
 波木井さん今晩は。
白川ネットでの風刺のきいた鋭い発言を拝見していました。
当意即妙のすばやい発言には、蛍光灯の私はいつも感心させられています。
ここの所またLibraさんとこの書き込みに精出しております。
首相頭破の書き込みは、創価学会特有の批判を揶揄った書き込みと理解し、思わず吹
き出しました。
そうですかまともに受けて賛意を表した会員もいましたか。
選挙公示日の前日十二日には、近所の学会員が自民党の候補者への投書依頼にきまし
た。厚かましいというか、あきれるばかりです。公明党と組んだから自民党には入れ
ないですよとことわり、お門違いだわぁといってやりました。
興風13号のご報告を書き込んでください。おねがいします。
00269 00/06/18 14:32 Eisai              法華経における「出」の読み方?
『法華経』の読誦(真読)のとき
 「出」は「しゅつ」なのか「すい」なのか
その読み分けかたを、法華宗大本山本能寺の教学発表会で小耳に挟んでから気になっ
ていたのですが、その時どう聴いたか耳が竹輪だったので・・・。
 その手がかりになるようなものをみつけました。
  出(いだ)す <他動詞>  ならば スイ  と読む
  出(で)る  <自動詞>  ならば シュツ と読む
のだそうです。
■出す いだす
  内にこもっているものを外部に移動させる。
  内にあるものを何かの形で表面に表す。
■出る でる
  現れる。姿を現す。内から外に移る。源から起る。
さて、実際どうでしょう。そんな考え方で良いのでしょうか?

 爾時寶塔中[出]大音聲歎言。善哉善哉。釋迦牟尼世尊。
 『妙法蓮華経見寶塔品第十一』
の「出」はスイで納得かな。
 塔中の多宝如来が大音声を出(いだ)されたのですから。
 学生時代から何でスイなんだと思っていることです。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00270 00/06/18 16:46 顯正居士           RE:00269 シュツとスヰ
漢和辞典にそう出ておりますね。いづ=シユツ、いだす=スヰ。
出家(家ヲ出ヅ)=シユツケ。出師(師ヲ出ス)=スヰシ。
経論を音読する場合、唐音、漢音の区別もややこしいですね。仏教語は唐音で
読み、一般の語は漢音で読むんでよいかというと、そうでもなく、よく使う語
は唐音です。告=カウ、品=ホンのよう。
ところで「法華経和歌集」はEisaiさんのサイトに、元禄の頃、近松氏が寄贈した
とある本のこととおもいます。これは、
慈円僧正の歌だけ収録されているのでしょうか。それとも慈円僧正が編纂した
法華経題材の歌集でしょうか。或いは筆記者が自分で作った私家集でしょうか。
序文に何か書いてありませんか。この時代特有の物凄い草書体の本だと、判読
が困難とおもいますが。
00271 00/06/18 18:23 Eisai              RE:00270 RE 慈円僧正の法華和歌宗
顯正居士さん、こんばんは。
 > ところで「法華経和歌集」はEisaiさんのサイトに、元禄の頃、近松氏が寄
 > 贈したとある本のこととおもいます。
 そうです。
 > 慈円僧正の歌だけ収録されているのでしょうか。
 そのように受けとめていますが、独自に検証しようと思っています。
 うちのお寺のパンフレットを見ると、承元年間(1207-10)に慈円僧正による
法華法華二十八品和歌を、阿野実藤という公家さんが書いたものなのだそうで
す。
 慈円僧正自らが編纂されたものを阿野実藤卿が書写したものなのか、阿野実
藤卿が慈円僧正の歌を集めて書いたのか、定かではありません。
 宝物館に入れっぱなしなので、近いうちに調査しようと思います。
 といっても8月末まで忙しいなぁ〜。
 > この時代特有の物凄い草書体の本だと、判読が困難とおもいますが。
 そうなんです。(^_^;
 その判読の為にも、事前に下調べしようかなと思っているのです。
 デジカメで撮って、そのうち公開したいなと思います。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00272 00/06/18 18:23 Eisai              RE:00269 法華経における「出」の読み方?
漢和辞典を調べました。
 出
  漢音 シュツ
  呉音 スイ
のようですね。で、
  自動詞はシュツ
  他動詞にはシュツ・スイの両方の音を用いる。
のだそうです。
  ▼
  |\(*^^)v  Eisai
   ̄
00273 00/06/25 20:56 きく               (発言者削除)
00274 00/06/25 21:02 きく               「南無」の読みについて
 
 川蝉さん、こんばんは。きく、です。
 今日は「南無」の読みについてです。
 日蓮正宗のnbさんの「愚者・迷者談義」というところで、「ナンミョ
ウホウレンゲキョウ」か「ナムミョウホウレンゲキョウ」か、という
論議があり、正宗は、日蓮大聖人御自身の御振舞を忠実に守ることが
伝統であり、「ナン」が古来からの忠実な読みだとありましたので、
少しばかり疑問に思いました。
 以下、私の意見をそのまま書きますので、もし手掛かりがありまし
たらお教え下さい。
 過去の論議の紹介の後、
> このお題目の発音の仕方、知ってる方がいたら教えて欲しいものです。
 国語学的に言うと、中世の音韻は、今日の「ン」の音はありません。口を閉じたま
ま「ム」と言うのです。息は鼻に抜けますね。今日の「ン」の音は近世に至って次第
に登場するわけですが、はっきりそう発音できたのは比較的新しい時代だと思われま
す。
 これは、表記と実際の発音の差の問題で、ポルトガルの宣教師が作った日本語学習
のテキストや辞書、古典芸能の表記と発音から、今日では容易に知ることが出来ます。
 日蓮正宗の「ナン」は音だけが伝わったのでしょうが、今日のように口を開けたま
ま「ン」と言ったのでは正しく中世の音を伝えたと言うことにはなりません。日蓮宗
の「ナム」が、そのまま「ナム」であったのか、それとも口を閉じた「ナム」(「ナ
ン」)であったのかは、他の基礎資料が必要でしょうね。ただ、今日のように口を開
けたまま「ン」と言ったのでは正しく中世の音を伝えていないと言うことだけは知っ
ておいていただきたいと思います。 
> 正宗で、もっとも大切にするのは、日蓮大聖人御自身の御振舞をかたくなに守り続
>けるということであります。 
 それは大切なことです。ただ、本当に正しく伝えているのか、その時々に検証して
いく必要がありますね。「御自身の御振舞をかたくなに守り続ける」という言い方は、
他のどの宗派でも言いますし、他の分野、特に芸能の世界では非常に厳しい伝統の継
承への指導が行われています。しかし、正確には伝わっているとは言い切れませんし、
後世付け加わったものも多くあります。
> 衣の色にしろ、薄墨の衣を、著するのは、大聖人御自身がこういう衣を着ていたか
>らだと思います。 
 私はそうは思いません。たとえば数珠、日蓮宗の数珠も日蓮正宗の数珠も、今日の
形は室町に至ってからの形であることは、誰にでも容易にわかる事実です。日蓮聖人
が使われたものが数例ありますが、よい資料だと思います。
 と、こんな具合です。
 私は「ナム」だと思います。「ナム」です、と言い切ってもよいと
思っています。
 ただ「ナム」が、そのまま「ナム」であったのか、それとも口を閉
じた「ナム」(「ナン」)であったのかはわかりません。どちらなの
でしょうか。
 日蓮聖人は東国の人ですから東国の発音だったはずです。「善悪」
をはっきり「ゼンマク」と読んでいたという記録がありますが、この
ときの「ン」は口を閉じて「ム」と言います。しかし、「ナム」につ
いてはわかりません。
 蛇足ですが、もうほとんど聞かれなくなりましたが、かつて東京の
下町では、「ウマ」や「ウメ」を口を閉じて言うものですから、「ム
マ」「ムメ」、「ンマ」「ンメ」と言っていた老人のいたことを記憶
しています。伝統芸能では今でも、いやこんな時代ですからこの発音
は徹底的に訓練されるそうです。
00275 00/06/28 13:22 川蝉               RE:00274 「南無」の読みについて
 きくさん今日は。
大分以前ですが、テレビで源氏物語?の部分を当時の発音で読むとこうだと言う放送
を見たことがあり、現在と異なる発音に興味をおぼえたことがあります。
>口を開けたまま「ン」と言ったのでは正しく中世の音を伝えたと
>言うことにはなりません。
なるほど「ン」一つの発声でさえ、現在とはいがうのですね。
ずっと昔、一度、ある人から「素人ぽっくナムと発音しない方がよい」と指摘を受け
たような記憶が有るのですが、私はずっと「ナム」と発音しています。
どうも、「ナン」と発音している人はいないようです。
宗門人が書いた本に唱題に就いての解説されていても、「ナム」か「ナン」の発音に
ついて言及しているものは見たことがありません。
>もし手掛かりがありましたらお教え下さい。
との事ですが、まったく手がかりありません。
「妙法尼御前御返事」(昭定1535・真蹟在)に
「めうほうれんぐゑきやう」とありますが、南無が書いてないのです。
宗内で発行されている経本のどれにも唱題の南無妙法蓮華経に「ナム」と仮名振りが
されていますので、宗門では「ナム」に統一されているとして間違いないようです。
きくさんの言語学的面からの意見は極めて貴重なものと思います。さすが古文専門だ
けありますね。
「ナム」と発音する有力な根拠となる見解ですね。
> それは大切なことです。ただ、本当に正しく伝えているのか、
>その時々に検証していく必要がありますね。「御自身の御振舞を
>かたくなに守り続ける」という言い方は、他のどの宗派でも言い
>ますし、他の分野、特に芸能の世界では非常に厳しい伝統の継承
>への指導が行われています。しかし、正確には伝わっているとは
>言い切れませんし、後世付け加わったものも多くあります。
要は宗祖の精神を忘れないことだと思います。細かい形式は伝統を護ろうとしても、
時代に依るというか、時々の工夫も加わり、自ずといつの間にか変化していくことは
免れないのでしょうね。
少し前に七百年遠忌でしたか、法要に出仕する一般僧侶の衣を薄墨の衣に木欄の袈裟
に統一したことがあります。たしか宗祖当時の衣に近いからという説明があったよう
に記憶しています。
ま、色はそうでも衣や袈裟の形は現在の作り方のものであったわけです。
宗祖当時の様に作ったという木欄五条けさを中山法華経寺から貰っていますが、今の
五条袈裟とやはり違います。
改良服(道服)、輪袈裟、木ショウなども明治になってからのものだそうです。
00276 00/06/28 20:19 きく               (発言者削除)
00277 00/06/28 20:23 きく               (発言者削除)
00278 00/06/28 20:25 きく               RE:00275 音韻と表記の変化
 川蝉さん、ありがとうございました。
>要は宗祖の精神を忘れないことだと思います。細かい形式は伝統を護ろうとしても、
>時代に依るというか、時々の工夫も加わり、自ずといつの間にか変化していくことは
>免れないのでしょうね。
 時代による変化、時代の要請、それはしかたがないことですし、ま
た、そうして発展して行くものだと思います。ただ、変なところで権
威づけたり、あたかもそれが正統派の証みたいなことを言われると、
いやですね。要は宗祖の精神を忘れないこと、それだと思います。
 「南無」の音ですが、少し補足します。
 もともとは奈良時代(おそらくそれ以前)から「ナム」又は「ナモ」
です。これは今日の発音にほぼ近い「ナ」と「ム」、「ナ」と「モ」
です。
 「ん」は「无」の、草字からできた仮名ですが、これは平安中期か
ら口を閉じて「ム」を言うことにより、「ン」の音が言えるようになっ
たために、この表記が生まれました。しかし、これはあくまでも、口
を閉じて「ム」と言うことにより可能となった音です。今日の口を開
けたまま「ン」と発音するのとは違います。
 口を開けたまま「ン」と発音するのは、ずっと時代が下って、近世
に至ってからだと思われますが、はたしてこの音が多数であったかは
わかりません。古典芸能で伝承された形を見ると、口を閉じて言う
「ム」の「ン」の方が明らかに多数であったと思われます。口を開け
たまま「ン」と発音するのが一般的になったのは、近代になってから
で、はっきり言えるのは、戦後から、それもごく最近のことなのです。
地方からの爆発的な人口の流入、標準語の徹底、英語の普及から、今
日の口を開けたまま発音する「ン」が一般的になりました。(そして、
本来の日本古来の「ン」の音が忘れられてしまったというわけです。)
 「ム」が、そのままの「ム」であるのか、口を閉じて「ム」と言う
「ン」であるのか、見分け方は特にありませんが、「无」の字が仮名
の「ん」になったわけですから、「无」とあれば当然「ン」の可能性
があります。しかし、「無」と書いた場合には、「ナム」と読むのが
一般的だったと思います。(かりに「ン」と言ったとしても、鎌倉時
代の音韻には口を閉じて「ム」と言う以外はないのです。その場合で
も仮名の表記は、「なむ」なのです。しかし、私は表記による使い分
けがあったのではないかと思います。)
 時代によって、音韻と表記は変化して行きますが、見方を逆にすれ
ば、音韻と表記によって時代は特定できます。
 連声による音韻の変化、東国の音韻の差を考えても、今日一部正宗
で唱えられている「ナンミョウホウレンゲキョウ」が、鎌倉時代の音
をそのまま伝えるものだとは思えません。もし「ン」だとしても、少
なくとも口を閉じて「ム」と言わなければ正しくないのです。
 同じような時代による音韻の変化は、ハ行音、「ウ」の表記と音韻、
等、いくつかに見られます。
 「ナム」でも「ナン」でも、信仰にかわりはないわけですし、変な
ところで、これだから自分たちが正統派だなどと言うのはおかしいで
すね。そうしたら訛のある人や、はっきり発音できない人は正統では
ない、ということになってしまいます。そんなところに信仰の大事な
部分があるとはとうてい思えません。
 こだわるようですが、大切なことだと思いましたので、付け加えま
した。
00279 00/06/29 11:31 川蝉               RE:00278 音韻と表記の変化
 きくさん今日は。
私も追加です。
> 「ナム」でも「ナン」でも、信仰にかわりはないわけですし、
>変なところで、これだから自分たちが正統派だなどと言うのはお
>かしいですね。そうしたら訛のある人や、はっきり発音できない
>人は正統ではない、ということになってしまいます。そんなとこ
>ろに信仰の大事な部分があるとはとうてい思えません。
そうだと思います。
さっき、毎日やっている十時の信行に三人お参りがありましたが、一人が、御題目の
「法」の発音が変であり、時折、唱題がずれる癖のある人なのです。
「南無」は、Namas(ナマス)、Namo(ナモ)の音写だそうですから、きくさんの古文
学の根拠とあわせると、やはり「ナム」と発音するのが正しい発音とすべきですね。
創価学会の題目は非常に早口です。正宗の派生である創価学会の唱題は正宗を見習っ
たものでしょうから、やはり正宗の唱題も非常に早口なのかも知れません。
早口のため「ナム」が「ナン」に変化し、それが正当発音とされたのであろうと推測
できますね。
00280 00/06/30 20:43 紫蘭               RE:00278 音韻と表記の変化(横レス)
 どもっ (^-^)/>きくさん
> もともとは奈良時代(おそらくそれ以前)から「ナム」又は「ナモ」
>です。これは今日の発音にほぼ近い「ナ」と「ム」、「ナ」と「モ」
>です。
>
> 「ん」は「无」の、草字からできた仮名です
浄土真宗は「なもあみだぶつ」といのが、正式な名号らしいですね。
字も「南无阿彌陀仏」とかいてある本尊になっていたような?
どこの派だったかな?(^^;)
本願寺・大谷派・興正寺派の坊主の知り合いがいると混乱する(爆)
        紫蘭でした。 か し こ
00281 00/07/01 01:40 波木井坊           RE:00266 政教分離だから選挙中でも大丈夫
> > 彼らは大幅な教義変更をするところにさしかかっております。
>
> 大幅ですか・・・。
> 彼らの現在の教義を示したHPなんか御存知ですか?
>
> まさか富士教学を捨てたりして?
> 単に富士教学の在家仏教化作業なのか・・・。
>
SF研あたりでしょうか。本部の広宣不や教宣部あたりも見ているハズなのですが、
伝統的富士教学
に対する疑問が提示されても反対してこなくなりました。在家仏教下作業してます。
かなり進んでます。
> > 日蓮宗と学会が大喧嘩してくれれば
>
> 仰るように正宗 vs 創価学会には私たちは中立であるべきと思います。
> 富士系各派の活動家とやり合っていると、知らないうちに過剰反応をしてし
>まう。
> そうなって喧嘩などすれば彼らの思うつぼでしょうね。
> 怖がらず、怒らず、継続的にでしょうか。
> 自らを正しながら、彼らの教学と過去の行動について客観的な批判を冷静に
>続けるのが良いのかなと思います。
>
おっしゃられる通りであります。
> > 40万なにがしの弱小教団に転落した正宗
>
> 以前に比べればそうかも知れませんが、決して弱小ではないと思います。
> (数)×(質) を考えると、公称数百万人の他の既成教団よりも力がある
>のではないでしょうか?
金銭的には恵まれてます。行動力のあるのは妙観講の一部分で、大半の法華講は
こちらの信徒とさして差がないと思います。
00282 00/07/01 01:46 波木井坊           RE:00268 川蝉さん。正信会の興風で、石
> 波木井さん今晩は。
>白川ネットでの風刺のきいた鋭い発言を拝見していました。
>当意即妙のすばやい発言には、蛍光灯の私はいつも感心させられています。
>ここの所またLibraさんとこの書き込みに精出しております。
>
いえいえ、あれもう恥ずかしい限りでございまして・・・。(^^;;;
>首相頭破の書き込みは、創価学会特有の批判を揶揄った書き込みと理解し、思わず吹
>き出しました。
>そうですかまともに受けて賛意を表した会員もいましたか。
>
>選挙公示日の前日十二日には、近所の学会員が自民党の候補者への投書依頼にきまし
>た。厚かましいというか、あきれるばかりです。公明党と組んだから自民党には入れ
>ないですよとことわり、お門違いだわぁといってやりました。
すごいバイタリテイですね。恐れ入ります。私の所にも、私が日蓮宗だって知ってい
るくせに
”比例は公明党へ”って頼みの電話がありました。(爆)
>興風13号のご報告を書き込んでください。おねがいします。
了解しました。来週の終わりにはご報告できるかと思います。
00283 00/07/01 03:23 きく               RE:00280 平安時代のまでの音は「ナム」又
 紫蘭さん、ありがとうございます。
>浄土真宗は「なもあみだぶつ」といのが、正式な名号らしいですね。
>字も「南无阿彌陀仏」とかいてある本尊になっていたような?
>どこの派だったかな?(^^;)
>本願寺・大谷派・興正寺派の坊主の知り合いがいると混乱する(爆)
 浄土真宗の「なもあみだぶつ」ですが、「なも」には根拠がありま
す。
 平安時代のまでの音は「ナム」又は「ナモ」です。
 現在の国語学でわかっていることは、「无」から成立した仮名「ん」
を「ム」とも「モ」とも読ませていたということです。根拠となる用
例は、『源氏物語』には「なも当来導師」、『栄花物語』「鳥の舞」
「なもと拝み奉れば、口は異なれども、声は同じく聞こえて、」、な
ど音が仮名書きされたものがあります。また、黒川本『色葉字類抄』
には「南無 仏法部 ナムモ」、とあります。平安時代中期では「ナ
モ」の方が「ナム」より一般的だったようです。
 京都を中心とした機内地方では、この平安時代中期の音が以降も完
成された一つの規範として強く残ります。したがって、「南无阿彌陀
仏」は「なもあみだぶつ」で継承されるわけです。
 さて、法華の場合は、鎌倉という時代、そして東国の文化という要
素が付け加わります。漢文、和漢混淆文の読みをどうするのか、そし
てそんな格好いいことではなくて、東国の訛、音韻です、そんな要素
です。これは、学問的にはまだまだよくわかっていません。
 ただ、室町末から安土桃山にかけて、ポルトガルの宣教師達の日本
語辞書等があり、およそ中世末の日本語の音韻がわかります。『平家
物語』『イソホ物語』『日ポ辞書』、などには今日では消えてしまっ
た日本語の音韻が記録されています。逆に、また、今日ではごく普通
にあっても、まだそのころの日本にはない音も確認できます。
 その中に、この「M」「N」があります。
 「ム」から「ン」への変化ですが、「ム」「モ」から口を閉じた「ム
」、口を閉じた「ム」の「ン」から口を少し開いた「ン」、今日では
「ン」はこの口を少し開いた「ン」なのですが、さらにまた、そこか
ら派生して口を開いた「ウ」の成立、音韻の変化をたどることは、こ
の民族の歴史をたどることでもあります。国語学のおもしろさですね。
 私が言いたいのは、この国の人が今日の「ン」はこの口を少し開い
た「ン」を使えるようになったのは、ずっと時代が下ってのこと(近
世、一般的になったのは近代、主流になったのはそれも戦後のこと、)
で、それまでは「ン」は口を閉じた「ム」であったということなので
す。
 「南無妙法蓮華経」では「南無」は「ナム」が妥当だと思います。
 ・・・それから、「ウ」の音がはっきり成立するようになったのも
中古以降中世のことだったということも付け加えておきます。
 それから、これは少し話が違いますが、日蓮聖人の遺文には、「・
・・は」と当然歴史的仮名遣いで書くべきところを、「・・・わ」と
書いてあるところがあります。誤りではなく、音をそのまま仮名で表
記しているのです。たぶん読み手の立場を意識して書かれたのだと思
います。親鸞聖人の遺文から東国の音韻がずいぶん明らかにされまし
たが、もし本格的に調査したら、様々なことがわかると思います。
00284 00/07/01 06:31 YAM                RE:00280 音韻と表記の変化(横レス)
紫蘭さま,はじめまして.
(多分はじめましてだと思いますが...)
> 浄土真宗は「なもあみだぶつ」といのが、正式な名号らしいですね。
本願寺派では「なもあみだぶつ」,大谷派では「なむあみだぶつ」
です.その他は...知りません(^^;
たぶん,本願寺派のほうが古い発音を保っていると思います.
と私は勝手に推測していますが,その理由は,
菩薩,説,仏などを,本願寺派では「ぼさつ」「せつ」「ぶつ」と
ツ音をそのまま発音するのに対し,大谷派では「ぼさ」「せい」「ぶ(う)」
と脱落傾向をしめしているからです.
> 字も「南无阿彌陀仏」とかいてある本尊になっていたような?
> どこの派だったかな?(^^;)
これは名号本尊といいまして,各派を通じて正式なものです.
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00285 00/07/20 09:14 きく               RE:00249 回答をいただきました
 川蝉さん、今日は。
 「日興上人御伝草案」の「一、日朗上人は去正中のころ」の件です。
 日蓮正宗の宝珠寺の正信会の方の回答では、筆者の単純な誤記、とい
うことでした。そこで、私が古典研究でこのような筆者による年紀の誤
り例は皆無に等しいのだが、と、再びお聞きすると、堀師は古人の記し
たものを、何の手も加えずに、あるがままの形で残そうとされたのだ、
とのことでした。
 しつこいようですが、古典の本文確定の手続きについて、このように
するのが、本文の確定、校訂の作業で、その上で、一つの資料が資料と
して成立するので、後人の挿入、あるいは仮託して書かれたということ
もあるのではないか、と問うと、これをそうだとは言えないが、日蓮正
宗にはそのようなものも多く、その上に論を組み立てる傾向がある、と
言っていました。
 また「南無」についてですが、これについては、知らなかった、とい
うことでした。ただ、日蓮正宗では上の方から、日蓮正宗では「ナン」
と言わなければいけない、と指導されているようですね。
 日蓮聖人の信者に対する指導の方法が、直弟子と書簡によってなされ
る、という独特な効果的な方法をとった、という佐々木馨他の学者の解
説がありますが、師→弟子→信徒→その下の信徒、という関係は、弟子
A、弟子B、弟子Cの関係では、立場や状況によってそれぞれのグルー
プに差が出るのは当然です。今日残っている四条金吾に与えた書簡を、
南条氏は知らないし、富木氏も知らないのです。今日もその状況をその
まま伝統だからと言って、かたくなに自分の側だけが正しいとするのは、
錯誤をまねきやすいです。
 しかし、正信会というのもすごいですね。
 私は、宗教は体験だと思います。静かに座ったらこんな風になったと
か、唱題したら、こんな心が開けてきたとか、これをどう解決したらよ
いのか、そのQ&Aだとか、こんな風にやりましょうだとか、・・・そ
んなことを期待したのですが、相手の批判ばかりで、どうも私のような
者の来るところではないなと思いました。
 さて、話は変わりますが、このごろあまりよくない自然現象が多くあ
ります。先日、宗教には全く無関心なある先生が、日蓮聖人の「立正安
国論」というのがあるじゃないですか、と言い出しました。自分は神な
ど信じない人間だが、世の中がおかしいから、神々が見離したのかも知
れない、と言いました。
 私も、家でそんなことを話すことがあります。
 戦争末期、報道は全くされなかったわけですが、不思議と転変地災が
多かったのです。
不思議ですね。
 これは日興上人の身延離山とかかわるのですが、日興上人が言うよう
に、神々はこの国を捨てたという「神天上」なのか、それとも、あつく
法華経を信じれば神は応えてくれるという「善神帰来」なのか、今日的
には、人が謙虚に人としての行いを行う、ということになると思います
が、末世だな、と思うことがあります。
 こんなこと言ったら笑われてしまうかも知れませんが、折伏されたわ
けではありませんが、このごろの私はすっかり日蓮門徒になってしまい
ました。これは大真面目に、受戒するとか、何か手続きはいるのでしょ
うか。
00286 00/07/21 12:28 川蝉               RE:00285 回答をいただきました
 きくさん今日は。
正信会の人が「堀師は古人の記したものを、何の手も加えずに、あるがままの形で残
そうとされたのだ」と説明したとのことですが、堀師編纂の「富士要集」は誤字脱字、
後人の書き入れ等の箇所を頭注してあるのです。もし誤記と気付いていたら当然に注
記していたのではないかな?と推測する方が自然ではないかと思われます。
「私が古典研究でこのような筆者による年紀の誤り例は皆無に等しいのだが、」との
きくさんの質問は正当であると思います。
伝記的記録に年代を誤って記すのはおかしいです。もし不確かな記憶の場合は、確か
めてから書くとか、後で訂正を記すとかするのが常識と思います。
>日蓮正宗にはそのようなものも多く、その上に論を組み立てる傾
>向がある、と言っていました。
との事ですが、大石寺系で真書としている「御義口伝」の、成文し書き判を加えた月
日が、御存知のように「弘安元年戌寅正月一日」となっているんですね。弘安改元は
二月二十九日なので、「弘安元年戌寅正月一日」と云う日時は歴史上あり得ないので
す。
日蓮聖人と六老僧の書き判をしたいわば正式な公文書な性質のものであるのに、いい
かげんな年月日を記すのはおかしいと思うのですが、なんだかんだ正当付け言い訳け
をしているようです。
また「南無」の読み方についての国語学的面からのきくさんの論拠は非常に役立ちま
す。有り難うございました。
御書の全体を誰でもたやすく読めるようになったのは幕末の小川泰堂居士の功績です。
それまでは自由に全体を読めなかったのですね。いまだに真偽が確定しない御書も多
くあるし、他門では偽書と断定しているものを大石寺系では真書と主張して譲らない
でいます。
>今日もその状況をそのまま伝統だからと言って、かたくなに自分
>の側だけが正しいとするのは、錯誤をまねきやすいです。
本当にそうなんですよ。
>・・・そんなことを期待したのですが、相手の批判ばかりで、ど
>うも私のような者の来るところではないなと思いました。
人が変な宗教に入ってしまうのは、本人の判断力にも依りますが、ちゃんとした仏縁
が無いのと、背後の神秘的守り(先祖や善神)のあるなしによるのではないかと思っ
ています。
きくさんの直観は正しかったと思います。
御存知のように、仏教には、五戒の功徳でこの身体を与えられたとか、人々の業の総
和(共業)の作用で、社会・自然環境が造られていると云う思想がありますね、道義
を忘れ、物欲で人情も何く、他人を物心共に傷つけて平気な人達すなわち五戒を破る
人達が増加すれば、その破戒の共業によって、五戒の功徳で造られている自然も異常
がでてくるのは、当然と云う事になりますね。
「神天上」と云う考えもありますが、きくさんの云うとおり「あつく法華経を信じれ
ば神は応えてくれるという善神帰来」と云うか法華経を信じる者の前には必ず善神が
応現し護ってくれると言う考えも宗祖には有りました。
善神は少なく悪神の方が勢力盛んなので、むしろ正信の人の方が厄災を受けやすいと
云うような言葉もあります。 
「>人が謙虚に人としての行いを行う、ということ 」
が緊急に求められていることだと思います。 
>このごろの私はすっかり日蓮門徒になってしまいました。これは
>大真面目に、受戒するとか、何か手続きはいるのでしょうか。
悦ばしい限りです。日蓮宗では正式に受戒式をやっている所はほとんどないのでは。
お参りし、法話を聴いたり御題目修行を行うようになったら、それが信者さんの一員
となったことと云う事ですね。
特定のお寺に属さないでも、御本尊をお祀りし読経唱題をし、本などを通して御書の
学習などを分に応じてする人は、すでに日蓮門徒になっていると思います。
00287 00/07/22 10:50 きく               RE:00286 見えない仏縁を大切に
 川蝉さん、ありがとうございました。
>大石寺系で真書としている「御義口伝」の、成文し書き判を加えた月日が、御存知の
>ように「弘安元年戌寅正月一日」となっているんですね。弘安改元は二月二十九日な
>ので、「弘安元年戌寅正月一日」と云う日時は歴史上あり得ないのです。
>日蓮聖人と六老僧の書き判をしたいわば正式な公文書な性質のものであるのに、いい
>かげんな年月日を記すのはおかしいと思うのですが、なんだかんだ正当付け言い訳け
>をしているようです。
 「御義口伝」の真偽については、本で読みました。私は日向上人に
仮託されて書かれた「御講聞書」について、こういうものもあります
よ、と付け加えてのですが、「御義口伝」について気付かれたかどう
かはわかりません。かたく真書であると信じられているようでした。
 私は、富士派の伝書について、実はそれがかなり特定の人の写本で
あることが多いことに、一抹の引っかかりを覚えます。写本としてそ
の本文が伝わった場合、その遡り得る上限の定め方は、国文学研究の
常に論争となるところです。ただ何年誰々謹書と書いてある写本があっ
たとしても、それでは有効ではないのです。現在我々が「源氏物語」
だ、「伊勢物語」だ、「徒然草」だ、とは言っても、それは多くの傍
証に支えられた作品(本文)であるのです。私は一個人の読書家の感
想では、日寛上人前後、の年代ではないかと思っています。
 日蓮聖人の真跡曽存は200余確認されているそうですが、これは
多くの祖師方の中でも非常に幸いな例だと思います。このように多く
の真跡曽存のある例は、たとえ近世でも希有です。信仰の指針は、や
はり、そこから出発すべきです。
 私は、明らかに故意に作られた相承書は否定すべきだとしても、富
士派の「御義口伝」やその他の伝書を、仮託されて書かれたものだか
ら即否定せよ、と言っているのではありません。その時代、仮託しな
ければ著せないという事情が、事実としてあったのですから、それを、
思想の発展という形でとらえれば、何の矛盾もないわけです。富士派
教学は、中世末から近世に至って完成した、それでよいのではないで
しょうか。
 しかし、こんなこと言うと、いや、こちらが正統なのだ、というこ
とになるのでしょうが、信仰の系譜の正統は、その信仰を持ち、行ず
る人の、心の深さや高さで決まるものだと思います。
>御書の全体を誰でもたやすく読めるようになったのは幕末の小川泰堂居士の功績です。
>それまでは自由に全体を読めなかったのですね。いまだに真偽が確定しない御書も多
>くあるし、他門では偽書と断定しているものを大石寺系では真書と主張して譲らない
>でいます。
 御書がこれだけ正確に残されたということ、そして、今日的な意味
で科学的に考察されていたということ、小川泰堂居士の業績は一宗派
の話だけの話ではなく、この国の文の伝統の一つの姿を物語るもので
すね。
 堀日亨という方は大変よい仕事をなされたわけですが、それを継ぐ
人が今の富士にもいるといいのですが。
 ところで、個人的なことでしたが、アドバイス、ありがとうござい
ました。
>「神天上」と云う考えもありますが、きくさんの云うとおり「あつく法華経を信じれ
>ば神は応えてくれるという善神帰来」と云うか法華経を信じる者の前には必ず善神が
>応現し護ってくれると言う考えも宗祖には有りました。
 私は、四条金吾に与えられた書簡に、時々身に引き当てて、励まさ
れることがあります。
>特定のお寺に属さないでも、御本尊をお祀りし読経唱題をし、本などを通して御書の
>学習などを分に応じてする人は、すでに日蓮門徒になっていると思います。
 ありがとうございました。見えない仏縁を大切にしていきたいと思い
ます。
00288 00/07/25 22:07 波木井坊           富士川河口断層帯と日蓮系寺院の霊ライン
富士川河口断層帯と日蓮系教団の霊ライン、プロット地図の第一修正図。 
          http://www7.konohana.ne.jp/rei.html 
現地調査により、断層地帯にいならぶ日蓮宗寺院を10数寺加筆。 
また位置修正。
00289 00/07/27 19:32 きく               「日大直兼問答」、読んでみませんか
 「日大直兼問答」、読んでみませんか。
 日興門流で、京都における布教の基盤を築いた日尊の門下日大が、
貞治2年(1363年)、天台宗山門派惣探題直兼と、天台宗と日蓮
宗の立義について問答を交わした記録です。日興門流はどこが主流な
のかは別として、日大は日印と並ぶ日尊の弟子ですから、最も日興門
流の勝劣義を理解する人の一人です。一方の直方も山門派の理論的な
指導者の一人であったはずです。
 本門迹門の解釈、一念三千の解釈、寶塔品の解釈、そして日大の本
門釋迦造立のさいの合掌の印、など、流し読んだだけですが、興味あ
る内容のように思えました。
 問答というと、なにやら勝ち負けが気になりますが、終始誠意に満
ちた、対応で、お互いの立場を尊重しているのには、両者の人柄が感
じられるようです。
 私の、この夏の勉強の材料にしようと思っています。
00290 00/07/30 18:51 Eisai              RE:00289 「日大直兼問答」面白そうですね
きくさん、こんばんは。
 >  本門迹門の解釈、一念三千の解釈、寶塔品の解釈、そして日大の本
 > 門釋迦造立のさいの合掌の印、など、流し読んだだけですが、興味あ
 > る内容のように思えました。
 まだ鎌倉時代の日興門流の碩学と天台宗の碩学の対話それ自体もさることな
がら、釈尊の合掌印は興味ありますね。
 ただ、漢文(白文)なんでしょうね?
 > 最も日興門流の勝劣義を理解する人の一人です。
 日興門流の勝劣は、日隆上人(1385-1464)以前の鎌倉時代からあったのです
ね。
 >  問答というと、なにやら勝ち負けが気になりますが、終始誠意に満
 > ちた、対応で、お互いの立場を尊重しているのには、両者の人柄が感
 > じられるようです。
 素晴らしいですね。
 本来、問答って法論でやっつける意味ではないのでしょうね。
 最初期の仏教における釈尊の教化法は、多分に相手との問答によることが多
かったと岩波仏教辞典にありました。
 まして、罵声や恫喝など交える問答など仏教の問答ではない。
 師や先輩が教える、あるいは立場を異にする相手との対話という意味もある
のでしょう。
 とくに立場を異にする相手との対話は勉強になります。
 同僚との対話は、独りよがりの仏教解釈に陥る危険性を回避できるメリット
は大きいと思います。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00291 00/08/01 21:00 波木井坊竜尊       RE:00288 地図解像度をアップ!
地図解像度をアップ!富士川河口断層帯と日蓮教団の霊ライン。Ver2.0
画像データは若干、重くなっています。
http://www7.konohana.ne.jp/rei.html 
00292 00/08/02 17:12 Eisai              RE:00291 お経中の地震
波木井さん、こんにちは。
 > 地図解像度をアップ!富士川河口断層帯と日蓮教団の霊ライン。Ver2.0
 >
 > 画像データは若干、重くなっています。
 > http://www7.konohana.ne.jp/rei.html
 面白いですね。
 この辺の地理はよくわかりませんが・・・。
 ただ、断層のあるところって沢になっていることも少なくなく、その場合は
川が流れている。よって集落と寺院があるという考え方はできませんか?
 そして、日蓮系以外の寺院と日蓮系の寺院と断層の平均距離を数値化すると
もっと多くの人に興味深いデータになると思います。
 地震は怖いですね。
 有珠山噴火や三宅島雄山噴火は収束に向かっているようですが、新島、式根
島、神津島のの地震も長いですね。
 話はかわりますが、
 新島の某寺住職(日蓮宗)が震度6でもお経を続けたそうですが、私は危険
なことだと思いました。
 屋根が重くて、壁が少ない木造の本堂は地震に弱いです。鉄筋であっても、
落下物などの危険があります。
 阪神大震災での教訓です。震度7のなか神戸では魚崎妙見寺さんの御住職が
朝勤中に被災し遷化されました。
 小さい頃から知っていたお上人さんですが、お人柄も良く勉強熱心な方で、
まじめに朝勤中での出来事です。
 諸行無常が仏教の理法であって、それ故に非業の遷化されたのであります。
 わしは信仰しとるから大丈夫などというのは、阪神大震災体験者としてお勧
めできません。
 お経中にあって、
  地鳴りがする
  稲光がする
  土壁が落ちた埃の臭いがする
  荘厳具や位牌が倒れたり落ちたりする
  あきらかに震度6以上だ
という場合は、お経中でも躊躇無く中断して速やかに安全なところに逃げるべ
きでしょう。
 来年1月17日は阪神大震災の7回忌です。
 うちの管区でも唱題行脚と神戸市兵庫区の寺院で法要を厳修します。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00293 00/08/04 16:18 波木井坊           RE:00292 お経中の地震
>波木井さん、こんにちは。
>
> > 地図解像度をアップ!富士川河口断層帯と日蓮教団の霊ライン。Ver2.0
> 面白いですね。
> この辺の地理はよくわかりませんが・・・。
> ただ、断層のあるところって沢になっていることも少なくなく、その場合は
>川が流れている。よって集落と寺院があるという考え方はできませんか?
> そして、日蓮系以外の寺院と日蓮系の寺院と断層の平均距離を数値化すると
>もっと多くの人に興味深いデータになると思います。
たしかに川の側です。しかし大宮(富士宮)という人口の集中した所には
それほど寺院がありません。町中は今でも数寺。東側の少し離れた所に、
小泉久遠寺や北山・西山末寺が集中しております。断層帯に集中している
寺院は、今も昔もどちらかというと山間の寒村です。そこに集中してあるの
です。浄土系は断層帯には全く無し。曹洞宗と禅宗が断層帯にあります。
距離としたら断層帯の直下に近いです。ほとんどの寺院が数十m〜数百m
以内と近接してます。数値化には時間がかかりますがやってみます。
> 地震は怖いですね。
> 有珠山噴火や三宅島雄山噴火は収束に向かっているようですが、新島、式根
>島、神津島のの地震も長いですね。
フィリピン海プレートの境界域の少し手前でおきている群発地震で、震源が伊豆
南部や房総半島南部に移る傾向がでてきました。御前崎沖は沈静化してしまって
おりまして、大地震直前の前兆によくにているそうです。
> 話はかわりますが、
> 新島の某寺住職(日蓮宗)が震度6でもお経を続けたそうですが、私は危険
>なことだと思いました。
> 屋根が重くて、壁が少ない木造の本堂は地震に弱いです。鉄筋であっても、
>落下物などの危険があります。
> 阪神大震災での教訓です。震度7のなか神戸では魚崎妙見寺さんの御住職が
>朝勤中に被災し遷化されました。
〜中略〜
>という場合は、お経中でも躊躇無く中断して速やかに安全なところに逃げるべ
>きでしょう。
> 来年1月17日は阪神大震災の7回忌です。
> うちの管区でも唱題行脚と神戸市兵庫区の寺院で法要を厳修します。
>
> ▼
> |\(*^^)v  Eisai
>  ̄
うわわ〜〜〜。亡くなった人がおいでなんですか・・・。寺院の作りで一番弱いの
は本堂ですよね。柱と柱の間が空いていて空間が大きいから・・・。上にはいっぱい
いろんなモノがぶら下がっているし・・・。やはり即座に非難すべきですね。
00294 00/08/05 14:57 Eisai              RE:00293 断層と日蓮系寺院
波木井坊さん
 こんなこというのは、物理実験のレポートで考察を重視する先生に指導され
た余波です。
 すみません。その前提のもとに・・・。
 > たしかに川の側です。
 やはり・・・。
 > しかし大宮(富士宮)という人口の集中した所には
 > それほど寺院がありません。
 昔から人口が集中していたのでしょうか?
 そもそも静岡ではどのような方々に日蓮仏教が弘まったのでしょう?
 阪神地方だと、農村は浄土真宗、日蓮系は都市の商工業者のようですが・・
・。
 > 町中は今でも数寺。東側の少し離れた所に、
 > 小泉久遠寺や北山・西山末寺が集中しております。
 一帯が富士門流なのですね。
 > 浄土系は断層帯には全く無し。曹洞宗と禅宗が断層帯にあります。
 法華経を読むか読まないかの違いかな・・・。
 ともかく、都市部を除いて日蓮系が集中する地域に浄土系の寺院は少ないで
しょう。浄土系と日蓮系は水と油でしたから・・・。
 > 距離としたら断層帯の直下に近いです。ほとんどの寺院が数十m〜数百m
 > 以内と近接してます。数値化には時間がかかりますがやってみます。
 いらんこと言いました。(^人^)
 でも、数字って説得力ありますから、やりがいはあると思います。
 波木井さんは、断層に日蓮系寺院が多いことをどのように考えておられるの
でしょうか?
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00295 00/08/07 02:54 波木井坊竜尊       RE:00294 断層と日蓮系寺院
>波木井坊さん
>
> こんなこというのは、物理実験のレポートで考察を重視する先生に指導され
>た余波です。
> すみません。その前提のもとに・・・。
>
> > たしかに川の側です。
>
> やはり・・・。
これは当然だと思います。水源の近くに寺院が作られる、これは時の
権力者の加護のもとに作られた訳ですから。その地域の一番良い場所
に、寺院を建立している。これはどこも同じだと思います。また断層
帯というのは、湧水地が多いのです。しかし全てではありません。
> > しかし大宮(富士宮)という人口の集中した所には
> > それほど寺院がありません。
>
> 昔から人口が集中していたのでしょうか?
> そもそも静岡ではどのような方々に日蓮仏教が弘まったのでしょう?
> 阪神地方だと、農村は浄土真宗、日蓮系は都市の商工業者のようですが・・
>・。
大宮には浅間大社がありました。大石寺のラインは駿河から甲斐へ至る最短
ラインですから街道筋です。しかし裏街道のほうが何故か多い傾向があります。
たしかにこの地域でも商工業者が圧倒的に日蓮宗系です。
> > 町中は今でも数寺。東側の少し離れた所に、
> > 小泉久遠寺や北山・西山末寺が集中しております。
>
> 一帯が富士門流なのですね。
富士門流の基盤・発祥地ですが、身延系寺院が圧倒的に多いです。しかし江戸時代
までは日蓮宗富士派で同宗でした。富士門流系は浅間神社の氏子勢力が強大で、
決して近ずくことはありませんでした。しかし身延系は積極的に町衆に入り込み
神社勢力内にかなりの檀家を作っています。浅間大社の氏子で日蓮宗か禅宗という
のはありますが、富士門流系というのは聞いたことがありません。
>
> > 浄土系は断層帯には全く無し。曹洞宗と禅宗が断層帯にあります。
>
> 法華経を読むか読まないかの違いかな・・・。
> ともかく、都市部を除いて日蓮系が集中する地域に浄土系の寺院は少ないで
>しょう。浄土系と日蓮系は水と油でしたから・・・。
そんな感じがしています。法華経を読むか読まないか。
> > 距離としたら断層帯の直下に近いです。ほとんどの寺院が数十m〜数百m
> > 以内と近接してます。数値化には時間がかかりますがやってみます。
>
> いらんこと言いました。(^人^)
> でも、数字って説得力ありますから、やりがいはあると思います。
>
> 波木井さんは、断層に日蓮系寺院が多いことをどのように考えておられるの
>でしょうか?
>
> ▼
> |\(*^^)v  Eisai
>  ̄
教義逸脱かもしれませんが、地龍ではないかと。しかし風水に見えるけど、他の
理由があるのではないかと、思います。
00296 00/08/08 12:49 Eisai              RE:00295 断層と日蓮系寺院
波木井坊竜尊さん、どうもです。
 > また断層帯というのは、湧水地が多いのです。
 さすが富士山山麓ですね。
 > 大石寺のラインは駿河から甲斐へ至る最短
 > ラインですから街道筋です。しかし裏街道のほうが何故か多い傾向があり
ま
 > す。
 街道筋にお寺があるのは納得できます。
 昔は徒歩が多かったでしょうから、有り難そうな寺社があれば立ち寄ってお
参りしていったでしょうね。
 現在ではクルマで通過してしまいますが・・・。
 でも、富士系と不受不施派は賽銭箱を置いていなかった? (^_^;
 > 江戸時代までは日蓮宗富士派で同宗でした。
 昔は、本山が違うと同じ一致派でも他宗と同様なこともあったそうですが・
・・。
 江戸時代の静岡はそんな雰囲気だったのですか?
 だから、富士系でも重須本門寺と小泉久遠寺は日蓮宗に合同することができ
たのでしょうか?
 > 浅間大社の氏子で日蓮宗か禅宗という
 > のはありますが、富士門流系というのは聞いたことがありません。
 そうでしょうね。
 他宗門徒への布教が禁じられた江戸時代、日蓮宗は神道の氏子や他宗の信徒
を獲得するために神祇を肯てまつったのかも知れません。
 でも、日興上人建立の重須本門寺にも開創当時から天照大神(でしたよね
?)を奉るお堂がありましたよね。
 > 教義逸脱かもしれませんが、地龍ではないかと。しかし風水に見えるけ
ど、
 > 他の理由があるのではないかと、思います。
 興味深いですね。
 何か進展がありましたら、またお知らせ下さい。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00297 00/08/08 19:25 きく               RE:00296 ちょっと話がそれてしまいますが
 きくです。ちょっと話がそれてしまいますが、おゆるしください。
> でも、日興上人建立の重須本門寺にも開創当時から天照大神(でしたよね
>?)を奉るお堂がありましたよね。
 富士派と浅間神社の関係は本格的に研究したら興味ある事実が出てくるかも知れま
せんね。私は波木井氏と浅間大社、南条氏と浅間神社とをそれぞれ組み合わせて、武
士団の力のバランスから日興上人の身延離山を考えることは出来ないものかと考えて
います。
 まだ、歴史学の方ではこの地の武士団の力関係を研究したものはないのだそうです
が、浅間大社が北条氏と深い関係にあったという事実があります。この地の元々の神
様は富士浅間大社なのです。そこへ三島大社が、流れ着くというか、割り込んで来る
わけです。鎌倉の源氏、北条氏とともに、政治的な新興勢力としてやって来るといっ
た方がよいかも知れません。
 しかし、日興上人が築きあげた地盤は古くからの富士信仰の盛んな一帯です。
 案外、もう一つの事情がわかるのではないかと思っています。
 三島大社と浅間神社についてですが、鎌倉の神道の方の記述がありますので、以下
そのままあげます。ご参考になれば・・・。
 三島大社は旧く、天平宝字2年(758年)には、神封13戸を受けた記録があります。
この神社の本源(全国にある三島神社の大部分とも)は愛媛県の大山祇神社です。いま
は静岡県三島市に鎮座ですが、本社は三宅島と言われ、承和7年(840年)に噴火の霊
験があったと、伊豆国から朝廷に言上された記録があります。
 その後に幾度かの遷宮があって、今のところに収まり、伊豆国一宮になり、源頼朝
が配流されていた時より崇敬があって、鎌倉幕府になってからは、さきの箱根、伊豆
の両権現とともに重んじられ、武家社会の信仰があって今日に至っています。
 御祭神は事代主神と大山祇(おおやまずみ)神の二柱です。これは明治期になって、
国学の平田篤胤説が取り上げられて、大国主の子で、恵比寿神である事代主神が祭神
と定められ、戦後になって再び大山祇神を加えて二柱の祭神になりました。
 三島を名乗るなら祭神は大山祇神一柱でしかるべきです。事代主神が諸国を経て、
伊豆国に移り、永く三宅島に鎮座した、と言うことから祭神が変えられた次第です。
 浅間神社は富士山本宮浅間大社と言います。祭神は木花之佐久夜毘売命(このはな
のさくやひめ)で、富士山自体がご神体です。第七代孝霊天皇の時に富士山が噴火を
して皆が逃げ、国中が荒れ果てたために、第十一代垂仁天皇が浅間大神を祀り、山霊
を鎮めた事に始まるとされます。
 日本武尊の駿河での野火の難や、坂上田村麻呂が現在地に社殿を造営して、山頂よ
り神霊を移し祀ったといわれる伝承があり、頼朝以下北条、足利や信玄、秀吉などの
武将の信仰を得て、さらには家康の関ヶ原戦勝祈願の御礼などなどに加え、江戸時代
の富士信仰が盛んになり今日に至っています。
 社殿の裏には、富士山のご神体が恵比寿神との信仰があって、恵比寿、大黒が富士
山を向いて祀られています。
 家康が富士山の八合目より上を寄進したことによって、永く境内地とされていて、
その後この土地の所有権を廻って国と争い、昭和49年(1974年)に最高裁判決で、浅
間神社の御神体であり、境内地と認められた経緯があります。
 三嶋大社のことは正確には判らないことが多いのです。賀茂郡白浜村長田の伊豆三
嶋大社新宮が創建で、三宅島から飛んできた、とされているのですが、この隣には伊
古奈比(いこなひめ)神社があって、こちらが延喜式に名神大社(みょうじんたいし
ゃ=一つの社格)とされるほど栄えていました。今はありません。
 それが新宮の方が栄えて、古大社が衰退して江戸末期には無くなっていたと思われ
るようになってしまった。また社地神領にしても、飛び地のように賀茂郡にあって、
社殿だけは田方郡にあると言う現象があって、その辺のところがどうも釈然としない
のです。
 一つ考えられるのは、北条氏の勢力拡大と頼朝の崇敬があったことです。鎌倉御家
人や続く徳川将軍などの崇敬をうけ、そのような政治的背景を以て社勢を強め、伊豆
国一宮となり、東海道一と謂われまでになったのでしょう。
 日蓮上人やそのお弟子の時代には、まだまだ生臭い勢力拡大のことがいろいろあっ
て、素直に手を合わすには忸怩たるものがあったのではないでしょうか。
00298 00/08/17 09:27 Eisai              RE:00297 富士山麓の神祇
 きくさん、おはようございます。
 お盆がすんでやっと余裕ができました。
 >  富士派と浅間神社の関係は本格的に研究したら興味ある事実が
 > 出てくるかも
 > 私は波木井氏と浅間大社、南条氏と浅間神社とをそれぞれ組み合わ
 > せて、武士団の力のバランスから日興上人の身延離山を考えることは
 > 出来ないものかと考えています。
 面白そうですね。
 そしてそういうことがあるのであれば、ありそうな話ですね。
 地元の代表的神祇というのは付近の住民(地元出身者)の絶対的な支持を得
ることができます。
 一方、いくつもの仏教宗派がその地に存在すれば寺院への求心力は宗派ごと
に分散してしまいます。
 中世や近世の仏教にとっても神祇を習合せざるをえなかったのは理解できる
ことだと思います。
 > 浅間大社が北条氏と深い関係にあった
 > この地の元々の神様は富士浅間大社なのです。そこへ三島大社が、
 > 流れ着くというか、割り込んで来る
 その地で奉ぜられる神祇の歴史は、有力者の歴史とも関係してくるでしょう
ね。
 > 日興上人が築きあげた地盤は古くからの富士信仰の盛んな一帯
 快晴の日に大石寺から見た富士山は清々しくて今も印象に残っています。
 山岳信仰の対象になるのはよくわかります。
 > 本社は三宅島と言われ、承和7年(840年)に噴火の霊験があったと、
 今日でも噴火の霊験が・・・。
 にしても、標高3776mの富士山の山麓に三島大社ですか・・・面白いです
ね。
 >  家康が富士山の八合目より上を寄進したことによって、その後この
 > 土地の所有権を廻って国と争い、昭和49年(1974年)に最高裁判決
 > で、浅間神社の御神体であり、境内地と認められた経緯があります。
 山頂が境内地なのですか?
 日蓮教団にとって地盤の一つである富士地方の神祇の面白い歴史について的
確に教えて頂いて勉強になりました。
 私も地元(阪神間)の神祇の歴史について勉強したいです。
 うちに平安時代から妙見宮が祭られていたのは本当なのか、それまでの地神
は何だったのか、妙見宮と国常立尊(くにのとこたちのみこと)と習合してい
るのはどうしてか?
 どうして、諏訪大明神と牛頭天王を脇師にしているのか?
 何か参考資料はないでしょうか?
 大阪府立中央図書館で探そうと思います。
 来週くらいに、中尾先生(立正大学)が調査に来寺されるのでお訊きしたい
のですが、私は旅行中でいません。
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 |\(*^^)v  Eisai
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00299 00/09/08 12:49 Eisai              天龍八部の順序
 法華経では普通
   天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩ご羅伽
という順序で天龍八部が並んでいます。
 『法華経』の序品、譬諭品、法師品、見寶塔品、法師功徳品、神力品、妙音
菩薩品、観世音菩薩普門品、普賢菩薩勧発品にこれらはみられます。
 化城諭品においても
   諸天・龍王・乾闥婆・緊那羅・摩ご羅伽
で、省略があるものの順位は入れかわっていません。
 ところが、序品冒頭の諸尊の順序※は
   天、龍、緊那羅、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅
で、緊那羅が龍の次に来ています。また、摩ご羅伽は挙げられていません。
 このことは何か意味があるのでしょうか?
 成立論とかは関係してくるのでしょうか?

※
有八龍王。難陀龍王。跋難陀龍王。娑伽羅龍王。和修吉龍王。徳叉迦龍王。阿
那婆達多龍王。摩那斯龍王。優鉢羅龍王等。各與若干百千眷屬倶。
有四緊那羅王。法緊那羅王。妙法緊那羅王。大法緊那羅王。持法緊那羅王。各
與若干百千眷屬倶。
有四乾闥婆王。樂乾闥婆王。樂音乾闥婆王。美乾闥婆王。美音乾闥婆王。各與
若干百千眷屬倶。
有四阿修羅王。婆稚阿修羅王。か羅騫駄阿修羅王。毘摩質多羅阿修羅王。羅ご
阿修羅王各與若干百千眷屬倶。
有四迦樓羅王。大威徳迦樓羅王。大身迦樓羅王。大滿迦樓羅王。如意迦樓羅
王。各與若干百千眷屬。
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 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00300 00/09/13 08:38 10121970           はじめまして
はじめまして。
本日は質問があります。
日蓮宗と日蓮正宗、日蓮宗と本門仏立宗、日蓮宗と顕本法華
宗、日蓮宗と霊友会、日蓮宗と立正佼成会、日蓮宗と日本山妙法寺の違いを教えて頂
きたいのです。歴史的な違いについては、だいたい知ることができましたが、その教
義の違いについて知りたいのです。
はじめて伺って、こういった質問ははなはだ失礼とは思いますが、御存知の方どうぞ
宜しく御願い致します。
 

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