仏教ラウンジ bodhi ★ bodhi_5  001-100  101-200  201-300  301-end

−−会議室5  [法 華]:梵本法華経、天台教学、日蓮教学など −−

00301 00/09/13 12:03 川蝉               RE:00299 天龍八部の順序
 今日は。
>序品冒頭の諸尊の順序※は
> 天、龍、緊那羅、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅
>で、緊那羅が龍の次に来ています。また、摩ご羅伽は挙げられて
>いません。
気がつきませんでしたが、なるほど、序品の列衆では、緊那羅が龍衆のすぐ後に在り、
摩ご羅伽は無いのですね。
この相違や成立論との関わりについて言及している本は読んだことがありません。
嘉祥大師の「法華経義疏」を見てみましたら、
「普通、八部を連ねる際は、緊那羅は乾闥婆より後に在る。それは、乾闥婆は鬼神道
の摂であり、緊那羅は畜生であるからである。今(序品の列衆)、乾闥婆の先に置か
れている訳は、法楽を奏するを以ての故に初めに置かれているのである」
と説明を付けていました。
摩ご羅伽の無い事についての説明はありませんでした。
00302 00/09/13 14:40 Eisai              RE:00301 天龍八部の順序
川蝉さん、ありがとうございました。
 > この相違や成立論との関わりについて言及している本は読んだことが
 > ありません。
 了解しました。
 > 嘉祥大師の「法華経義疏」を見てみましたら、
 > 「普通、八部を連ねる際は、緊那羅は乾闥婆より後に在る。それは、乾闥
婆
 > は鬼神道
 > の摂であり、緊那羅は畜生であるからである。今(序品の列衆)、乾闥婆
の
 > 先に置か
 > れている訳は、法楽を奏するを以ての故に初めに置かれているのである」
 > と説明を付けていました。
 さすが、このような資料がパッと出てくるのですね。
 ただ、法楽を奏するを以て・・・とありますが、双方とも、音楽を奏でる神
様みたいですね。以下、広辞苑の該当項目です。
  ◎緊那羅(きんなら) 美妙な音声で歌舞する天の楽神。
  ◎乾闥婆(けんだつば) 緊那羅と共に帝釈(たいしやく)天に仕える楽神。
 
 > 摩ご羅伽の無い事についての説明はありませんでした。
 そんなこと拘っていたら『法華経』69384文字を読んでられませんね。
 でも、私は一文一句詳細に調べながら読むことをライフワークにしようと
思っています。
 えっ・・・何処まで進んだかって? まだ・・・此土六瑞です。
 序品が終わるのは何時でしょう?
  https://www.kosaiji.org/hokekyo/index_01.htm
に解説というより私のノートを公開しています。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00303 00/09/15 21:11 Eisai              (発言者削除)
00304 00/09/15 23:59 Eisai              RE:00300 はじめまして
ようこそ。
 > 日蓮宗と日蓮正宗、日蓮宗と本門仏立宗、日蓮宗と顕本法華
 > 宗、日蓮宗と霊友会、日蓮宗と立正佼成会、日蓮宗と日本山
 > 妙法寺の違いを教えて頂きたいのです。
 先ほどレスを書きましたが、違いを述べているというより教義批判になりましたの
で削除しました。
 もし、宜しければメールにて送信させていただきます。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00305 00/09/16 13:43 10121970           RE:00304 はじめまして
>ようこそ。
>
> > 日蓮宗と日蓮正宗、日蓮宗と本門仏立宗、日蓮宗と顕本法華
> > 宗、日蓮宗と霊友会、日蓮宗と立正佼成会、日蓮宗と日本山
> > 妙法寺の違いを教えて頂きたいのです。
>
> 先ほどレスを書きましたが、違いを述べているというより教義批判になりました
>ので削除しました。
>
> もし、宜しければメールにて送信させていただきます。
>
> ▼
> |\(*^^)v  Eisai
>  ̄
ありがとうございます。
わざわざ恐縮です。メールでお願い致します。
0629@projectlotus.com
10121970
00306 00/09/17 17:27 Eisai              RE:00300 題目教団の違いについての回答
10121970さんの発言への回答となるものが、
 http://www.lemon.ne.jp/bbs/bbs.cgi?room=sunlotus
によせられております。
 興味のある方々は御覧下さい。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00307 00/09/28 21:55 Eisai              日蓮聖人の真跡本尊を拝む機会
 日蓮聖人の真跡本尊を見たいという人から打診のメールを頂きましたが。どうすれ
ばよいのでしょう。
 身延山久遠寺の大本堂地下の宝物館で真跡本尊を見られたように思いましたが今で
もあるのでしょうか。それとも、レプリカですか?
 日蓮聖人の真跡ご本尊なんて至宝中の至宝ですから、保存のためにも、防犯上もお
いそれと見られる機会なんてありませんよねぇ・・・。中尾先生が口を酸っぱくして
説いておられましたし・・・。
 本圀寺のご本尊は出てきたのかな?
00308 00/09/28 22:16 きく               RE:00307 日蓮聖人の真跡本尊を拝む機会
Eisaiさん、こんにちは。
> 日蓮聖人の真跡本尊を見たいという人から打診のメールを頂きましたが。どうす
>ればよいのでしょう。
>
> 身延山久遠寺の大本堂地下の宝物館で真跡本尊を見られたように思いましたが今
>でもあるのでしょうか。それとも、レプリカですか?
 8月末、身延山久遠寺の宝物館で、真跡が3幅展示されていました。そのうち1幅
は加藤清正が所持していたものです。たぶんまだ展示されていると思います。それか
ら伊豆の仏現寺でも拝することが出来るそうです。これは又聞きですので、たしかで
はありませんが、つい最近聞いたものです。身延山久遠寺の3幅は、その前に立つと、
気のせいか不思議な感じがしてきます。素晴らしいものです。
 取り急ぎご連絡まで。きくより。
00309 00/09/29 09:43 Eisai              RE:00308 日蓮聖人の真跡本尊を拝む機会
きくさん、おはようございます。
 >  8月末、身延山久遠寺の宝物館で、真跡が3幅展示されていました。
 そうでしたか・・・。
 私はうろ覚えでしたので助かりました。
 > 伊豆の仏現寺でも拝することが出来るそうです。
 身延団参のあとで行くのもよいですね。
 > 身延山久遠寺の3幅は、その前に立つと、
 > 気のせいか不思議な感じがしてきます。素晴らしいものです。
 身延山に団体参拝に行くと、朝勤に詣って、日蓮聖人廟に参詣して、奥の院(思親
閣)に参詣というだけですね。
 この御本尊を拝することにも時間をさかなくては・・・。
どうもありがとうございました。
さっそくメールを頂いた方にお知らせします。
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 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00310 00/09/29 21:54 秋田の鰰           RE:00307 日蓮聖人の真跡本尊を拝む機会
> 本圀寺のご本尊は出てきたのかな?
他のMLで下記の投稿がありました。
興味があったら見てください。
今もあるかどうか。
「消えた曼荼羅、大物国士が衝撃証言」
夕刊フジですが..
http://www.fujinews.com/today/2000-09/20000904/0904-10.htm
00311 00/09/30 16:24 Eisai              RE:00310 日蓮聖人の真跡本尊を拝む機会
秋田の鰰さん、こんにちは。
 > > 本圀寺のご本尊は出てきたのかな?
 > 
 > 他のMLで下記の投稿がありました。
 > 夕刊フジですが..
 > http://www.fujinews.com/today/2000-09/20000904/0904-10.htm
 見ました。ありがとうございます。
 週刊誌的な記事でしょうけど、
 闇世界に渡っているのは確かかも知れませんね。
 残念です。
 本圀寺そのものも・・・。
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 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00312 00/11/29 20:51 Eisai              MP3 で読経音声
私の開設しているホームページ
 https://www.kosaiji.org/
ですが、読経道場を更新しました。
 今まで RealAudio ファイルだけだったのですが、新たに MP3 のファイルを付加し
ました。宜しかったら、
 https://www.kosaiji.org/hokke/okyo.htm
を御覧下さい。私の肉声がクリア?に聞こえます。
 妙法蓮華経方便品第二(十如是)
 妙法蓮華経如来寿量品第十六(自我偈)
 宝塔偈
などを聴くことが出来ます。
 早水声明導師に叱られるかもしれませんが、そのうち私の日蓮宗声明も MP3 で再
生したいと思います。句頭や同音で協力してくださる日蓮宗僧侶の方がおられました
ら宜しくお願い致します。
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 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00313 00/12/11 22:23 なむnomoto         RE:00284 音韻と表記の変化(横レス)
 ご無沙汰のなむnomotoです
 天台宗では2つの読みが正式に行われています。
 妙法蓮華経
  べうはーれんがけい(漢音)
  みょうほうれんげきょう(呉音)
 南無阿弥陀仏
  
  なもあびたふ  
  なむあみだぶつ
          ちなみに如来は
               じょらい
               にょらい
 南無妙法蓮華経
  
  なもべうはーれんがけい
  なむみょうほうれんげきょう
 阿弥陀経
  
  あびたけい
  あみだきょう
 南無釈迦牟尼如来
  なもせきゃぼじじょらい
  なむしゃかむににょらい
  参考になりますか?
                 なむnomoto
00314 00/12/16 10:21 Eisai              RE:00313 音韻と表記の変化(横レス)
なむnomoto さん、YAM さん、こんにちは。
 > 本願寺派では「なもあみだぶつ」,大谷派では「なむあみだぶつ」
 > 菩薩,説,仏などを,本願寺派では「ぼさつ」「せつ」「ぶつ」
 > ツ音をそのまま発音するのに対し,大谷派では「ぼさ」「せい」
 > 「ぶ(う)」と脱落傾向をしめしているからです.
 本願寺派と大谷派って東西本願寺派をさすのですか?
 宗旨が違うと、派の違いがよくわかりません。
 日蓮宗、日蓮正宗(大石寺)・創価学会が混同されてしまうのも、そういうことな
のでしょうか。
 日蓮宗では、一般に南無「なむ」ですが、声明では「なも」と読むこともあります。
 また、「ふ・く・つ・ち・き」は声明では脱落傾向にあるものの、読経ではハッキ
リ読むようです。
 >  妙法蓮華経
 >   べうはーれんがけい(漢音)
 漢音でも現代の漢和辞典の漢音呉音違うようですね。天台宗では『妙法蓮華経安楽
行品第十四』を漢音で読まれるそうですが、このような発音なのですか?
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 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00315 00/12/18 18:52 Eisai              討議への誘い? 池田大作への手紙?
12/14 (木) 4:13 に Joseph Collins という方から、
 invitation to a debate (a letter to Daisaku Ikeda)
という件名のメールが来て、
 HOW TEN MILLION HUGE BLACK CATS DEVOURED A LITTLE WHITE MOUSE
というタイトルの MS-Word の添付ファイルがついていました。皆様にはそんなメー
ル参りませんでした?
 かなり長い英文で年末に読んでいる暇がないのですが・・・。
 ( 正直にいえば英語が苦手(^^ゞ )
 いったい何を言っているのでしょう?
 御存知の方が居られましたら教えてください。
 転送を希望されるかたはお申し出下さい。
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 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00316 00/12/18 20:11 なむnomoto         RE:00314 音韻と表記の変化(横レス)
  Eisaiさん
            なむnomotoです
 
> >  妙法蓮華経
> >   べうはーれんがけい(漢音)
>
> 漢音でも現代の漢和辞典の漢音呉音違うようですね。天台宗では
>『妙法蓮華経安楽行品第十四』を漢音で読まれるそうですが、この
>ような発音なのですか?
 そうです。「あんらーけいひん」と読みます。
 経文も。(^^;)だから聞いてても、解りません(なんのこっちゃ)
 阿弥陀経も、この発音ですから、浄土宗+真宗の方と一緒に読むと、
 わけわかの読経になりますです。
 通常の発音で読んでも構わないでしょうが、法華懴法とか例示作法の
 場合は、こうした漢音読み(呉音読みなんかハッキリしません)で、
 きちっとやります。この2つの経典だけですね。観音經とか、自我偈
 とかは、普通の読み方ですから日蓮宗の方や曹洞宗の方と違和感が、
 ありません。
  黄檗宗の「般若心経」は、明音とかで、やはり、わけわかの読経で
 す。「陀羅尼ですか?」と聞いたら、「般若心経です」といわれ、
 ちょっとビックリ。それぞれ、伝統を大切にしてるところが良いと
 思いマスです。
                       なむ野本
00317 00/12/18 20:17 なむnomoto         RE:00315 討議への誘い? 池田大作への手
なむnomotoです
> HOW TEN MILLION HUGE BLACK CATS DEVOURED A LITTLE WHITE MOUSE
>
>というタイトルの MS-Word の添付ファイルがついていました。皆様にはそんなメー
>ル参りませんでした?
  来てませんが、日本文でくれなきゃ失礼ですよね。
  英文で、天台CD2を注文してくれますが、送ったって使えるのかな。
  使えるなら、日本語でメールくれれば嬉しいんですけどね。
                   (^^;)(^^;)冷や汗
00318 01/01/09 08:20 Eisai              天台は三法印を否定するのか?
三法印は仏教教理の特徴をあらわす三つの印(しるし)として、
 諸行無常 あらゆる現象は変化してやまない
 諸法無我 いかなる存在も不変の本質を有しない
 涅槃寂静 迷妄の消えた悟りの境地は静やかな安らぎである
があります。
天台大師は『法華玄義』の中で、三法印を非仏説から、小乗の仏説を弁別するための
基準であると述べているそうで(岩波仏教辞典)、それが下記の引用部分でしょう
か。
---------------------------
釋論云。諸小乘經。若有無常無我涅槃三印印之。即是佛説。修之得道。
無三法印即是魔説。大乘經但有一法印。謂諸法實相名了義經能得大道。
若無實相印是魔所説。
(『法華玄義』T33 P780a)
---------------------------
漢文音痴のいい加減な私訳(趣意訳)ですが、
---------------------------
釈論(大智度論)に云く。諸々の小乗経に、もし無常、無我、涅槃の三印があれば即
ち是れ仏説で、これを修して得道するとあり、三法印無きは即ち是れ魔の説だ。大乗
経にはただ一法印が有る。諸法実相、名づけて了義経、よく大道を得ると謂う。
もし実相印なくば是れ魔の所説。
---------------------------
さて、問題は「大乘經但有一法印」以下の部分です。大乗は「諸法実相」の一法印の
みで、この実相印がなければ魔の説だと。
これは天台大師の傘下の者としてどう捉えれば良いのでしょう。
天台大師は実相印という大乗の一法印(諸法実相)を主張して、伝統的な三法印を小
乗のものとして否定的に捉えられておられるのか?
それとも、三法印を肯定的に捉えた上で、更に大乗の一法印(諸法実相)を説かれた
のでしょうか?
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00319 01/01/10 17:37 川蝉               RE:00318 天台は三法印を否定するのか?
 Eisai  さん今晩は。
>天台大師は実相印という大乗の一法印(諸法実相)を主張して、
>伝統的な三法印を小乗のものとして否定的に捉えられておられる
>のか?
>それとも、三法印を肯定的に捉えた上で、更に大乗の一法印(諸
>法実相)を説かれた
>のでしょうか?
○小乗経と云っても三法印が説かれてなければ、魔が仏説であると偽って説いたもの
であるとしなければならない。
大乗経においては諸法実相が説かれていなければ、大乗経と云っても魔が偽って説い
た経と思わなければならない。と云う意趣の文と理解します。
「本化聖典大辞林」の「実相の印」の項で、上掲の玄義巻八の文に就いての妙楽の輔
釈にある「法華経は独り実相を明かすを一法印と為す」の文を挙げ、
「諸部の大乗には通じて実相を明かすも、不生不滅・一相・無相等と説く。いわゆる
未開会の実相にして独一絶待開会の実相に非らず。故に法華の実相の印に対して簡ば
る」
と説明しています。
諸部の大乗の実相印をまだ不完全な実相と判じるのが、日蓮宗の解釈なのですね。と
すれば、小乗の三法印はなお不完全なものと見るのだと思います。
上掲の玄義巻八の文より少し後(大東出版の国訳大乗経で二頁半ほど後)に有る、
「小に就いて簡ぶとは」との文段に、
「小乗は大悲をはこばず、衆生を済はざれば功徳力薄し。作仏を求めず深く実相を窮
めざれば、則ち智恵劣弱なり。・・究竟の理に非らず。前の生死の有の辺に対すれば、
則ち是れ涅槃の無の辺なり。・・真実の道に非らず。故に実相とは名付けざるなり
(略抄)」
とあります。
断常に見を離れるを聖中道と語るが、その実は、涅槃の無に偏っている。故に、小乗
の三法印は実相とは云えない、との意趣の様です。
続いて「偏に就いて簡ぶとは」との文段があり、
諸々の大乗経に於いて、即中即仮即空にして、一ならず異ならず、三無く一無しと悟
らない者は正実の実相に非らず。円教の智を悟った者は、是れ実相、真の実相の体な
りと論じています。そして法華経こそ、ただ一実相の智であり、声聞の法を決了して、
ただ無上道を説くから、純(もっ)ぱら是れ一実の体であるとの趣旨を論じてありま
す。
(大東出版の国訳大乗経では321頁〜322頁の部分です)
00320 01/01/13 20:55 Eisai              RE:00319 天台は三法印を否定するのか?
川蝉さん、本年も宜しくお願い致します。
御教示ありがとうございました。
 > ○小乗経と云っても三法印が説かれてなければ、魔が仏説であると偽って説い
 > たものであるとしなければならない。
 > 大乗経においては諸法実相が説かれていなければ、大乗経と云っても魔が偽っ
 > て説いた経と思わなければならない。と云う意趣の文と理解します。
 > 諸部の大乗の実相印をまだ不完全な実相と判じるのが、日蓮宗の解釈なので
 > すね。とすれば、小乗の三法印はなお不完全なものと見るのだと思います。
 その不完全な三法印すら充足していなければ話にならないということなのでしょう
か?
 その不完全な三法印など取るに足らぬから充足していなくてもよいということなの
でしょうか?
 鈍根の私に教えていただければ幸いです。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00321 01/01/14 11:13 川蝉               RE:00320 天台は三法印を否定するのか?
 Eisai  さん今日は。
原因がわかりませんが、「テキストの形式が違う」と出て、どうも一度でうまく発信
できません。前回も四回ほど繰り返した状態です。このコメントは素直に発信できる
かな?。
>その不完全な三法印すら充足していなければ話にならないということなのでしょう
か?
そのようですね。三法印の裏付けがない教説は仏説とは認められないと云うことだと
思います。
>その不完全な三法印など取るに足らぬから充足していなくてもよ
>いということなのでしょうか?
三法印の裏打ちがなければ仏説(小乗経)としての認められないと云う見解ですから、
小乗経では 三法印の充足(裏付け)は絶対必要条件と云うことだと思います。
菅野博士教授の「法華玄義入門」に
「大智度論を引用して、小乗経では、無常・無我・涅槃の三法印があれば仏説である
ことが確定するように、大乗経では、諸法実相の一印があれば了義経、つまり真実を
説き尽くした経であることが確定すると述べています」(399頁)
と解説してありました。
菅野博士教授は、また
「小乗経では、生死と涅槃は相異するものと説き、無常と無我を生死の二印とし、涅
槃を涅槃の一印とするに対して、大乗経では、生死即涅槃、涅槃即生死であるから、
唯一の印を用いるというものです」(400頁)
と玄義の趣旨を解説しています。
生死と涅槃は相異するものと見るところの、小乗の三法印の教説は、空の一辺(涅槃
の無)に偏っているので真実の実相と言い得ない。故に、生死即涅槃と見る大乗では、
諸法実相の一印を用いると天台は考えているのですね。
玄義には、「実相の印が無い経は魔説だと云うなら、実相を説かない法華経以外の諸
経は魔説であるのか?」と云う問いを設けています。この問いに就いての天台の答え
の部分を、菅野博士教授が、つぎのように、簡単に解説しています。
「諸経に真善妙色、畢竟空、如来蔵、中道と説いているのは、すべて実相の別称であ
り正印であるから、諸経の体は同じであると明かしています。
ただし、諸経に大小乗の差別があって、体に傍正があることを説いています。この場
合、正は実相で、傍は偏真ですが、たとえば蔵教は傍を説き、通教は傍を帯びて正を
説くと規定されます。」(418頁)
と解説してあります。
蔵教(小乗経)は傍真(偏真)であるが実相印を説いているし、大乗経は通・別・円
の三教が含まれているので、正の実相(円教の諸法実相の正印)が説かれているので
魔説とは云われない、と云うのが天台の立場のようです。

00322 01/01/25 18:36 きく               孫悟空の話
 Eisaiさん、川蝉さん、ご無沙汰しています。きくです。
 こちらたいへん慌ただしい毎日で、宗教談議どころではないのですが、この
秋から冬にかけて、こんなことを思っていました。と言うより、こんな風に思
えてきたのです。それで、今日は書いておこうと思いました。
 孫悟空の話は皆さんよく知っておられますね。そのはじめの部分で、悟空が
お釈迦様と術くらべをする段があります。悟空がお釈迦様にどこまでも飛んで
いってみせると言って、キントン雲に乗って飛んで行くのですが、もうこのく
らいでいいだろうと思っていると、高い山が見える、実はそれがお釈迦様の指
だった。悟空が分身の術を使っても、お釈迦様は巧みに、自在に、それ以上の
姿で応じてくる。実は、子供の頃、それが非常に面白くて、アニメがあったと
思いますが、今でもよく頭の中にやきついて残っているのです。
 私の信仰は、禅と法華が混在しているのですが、毎日見る十界曼荼羅が、あ
るとき一つの仏像のように感じられたのです。十界曼荼羅はたくさんの仏様が
描かれてあるわけですが、それがまた一つの仏のように思われたのです。あれ
は文字ではないか、といわれる人もあるかもわかりませんが、なぜ絵や形であ
る必要があるのか、とにかく一つの仏として納得されたのです。
 十界曼荼羅は文字曼荼羅です。今月の「大法輪」に十界曼荼羅の画像があり
ました。画像としての曼荼羅はわかりやすいのですが、私は文字でなければい
けないのだと思います。日蓮聖人が文字で示された理由は、法身の仏を示した
かったからだと思います。
 たくさんの仏は一つの仏でもあり、一つの仏はたくさんの仏でもある。そし
て、これが釈迦像だなどと固定した形があるのではなく、大きな潮のような、
・・・と思うようになりました。
 日蓮聖人の書簡の中に、あなたの体の中に仏の世界があるのだよ、と言う表
現があると思いますが、御題目を唱えながら、それを感得しなさい、と言って
いるように私は理解するようになりました。
00323 01/01/26 14:28 Eisai              RE:00322 孫悟空の話
 きくさん、お久しぶりです。
 お忙しそうですが、お変わりございませんでしょうか?
 私も何か慌ただしくて、ゆっくり落ち着いての仏教の勉強やBBSへの書き込みが
できません。
 孫悟空の話ですが、昨日は偶然に玄奘三蔵の関連する講義を受けていました。
 玄奘三蔵は唯識の根本経典『瑜伽師地論』を求めてインドに旅行されたとのことで
した。その唯識のさわりとして、『解深密経』『中辺分別論』の一節を受講しました
が・・・頭がフラフラ・・・クラクラになりました。
 哲学としてはおもしろいらしいですし、天台のライバルということで興味はありま
すが、時間と能力が追いつきませんね。
 >  毎日見る十界曼荼羅が、あるとき一つの仏像のように感じられたのです。
 名は体を現すでしょうし、経文と久遠釈尊は同体と考えれば、よくわかるような気
がします。
 ただ私としては、法華経の中にみなぎる久遠釈尊の教えの光明が隈無く照らされ
て、一切のものが生かし生かされている宇宙を顕しているようなイメージで接してい
ます。
 > 今月の「大法輪」に十界曼荼羅の画像があり
 面白そうですね。
 > 私の信仰は、禅と法華が混在している
 私は禅(dhyana)をしたことありませんが、瞑想(dhyana)や三昧(samadhi)というこ
とをもっと信仰に取り入れたく思います。日蓮宗でも宗内組織の求道同願会の唱題行
は瞑想を取り入れたものです。御存知ですか?。気持ちの良い唱題行です。もし私が
住職になったら自坊にも取り入れようと思っています。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00324 01/01/27 10:57 川蝉               RE:00322 孫悟空の話
 
きく さん今日は。
お久しさぶりです。
書くのは時間がかかるので、ちょっと忙しいと、発言できませんね。
>実は、子供の頃、それが非常に面白くて、アニメがあったと
>思いますが、今でもよく頭の中にやきついて残っているのです。
単に面白く思っていた物語にも、結構深い寓意が籠められている>ようですね。
いま見れば、それほど色彩豊かな絵では無いのでしょうが、良寛さんの絵本の美しさ
が記憶に残っています。
幼い頃の感受性がすっかり乏しく成ってしまいました。
>画像としての曼荼羅はわかりやすいのですが、私は文字でなけれ
>ばいけないのだと思います。日蓮聖人が文字で示された理由は、
>法身の仏を示したかったからだと思います。
感性の違いで、絵の方が有り難いと思う人も有るかも知れませんが、文字曼陀羅に神
秘性を強く感じる人が多いようですね。
彫刻にしろ画像にしろ芸術的に優れ崇高なものは、制作が困難でしょうね。
三十三(四?)身の変化身あるを以てを、観音さんの無辺の変化救済が説かれていま
すように、法身の菩薩には一定の形がないのですね。また名は体を表しています。そ
ういう点から云えば、画像で表すより名字で表した方が適切であるようにも思えます
ね。
>十界曼荼羅が、あるとき一つの仏像のように感じられたのです。
>十界曼荼羅はたくさんの仏様が描かれてあるわけですが、それが
>また一つの仏のように思われたのです。
十界曼荼羅の解釈はいろいろあるようです。
釈尊の観心の世界(悟り)を表したものとも云われています。その点では、きくさん
の云われるとおり、一つの仏像(久遠本仏釈尊)と見て差し支えないのだと思います。
曼荼羅の各尊は仏の心を、それぞれの立場で発現している、則ち本仏の支分(分流)
となっている姿でもありますね。この点からも全体が仏である、仏の活動の姿である
とも拝せると思います。
本仏釈尊が九界の身を示現して救済活動している姿を現すものともうけとれると思い
ます。この点からも一つの仏と受け取ってもいいのではないかと思われます。
私は、本仏釈尊を頂点とした善霊神団を示して居るとも受け取っています。
Eisaiさんの
> ただ私としては、法華経の中にみなぎる久遠釈尊の教えの光明
>が隈無く照らされて、一切のものが生かし生かされている宇宙を
>顕しているようなイメージで接しています。
という受け取り方も大事ですね。
00325 01/01/28 02:34 伊予の山猿         RE:00322 孫悟空の話
きくさん、Eisaiさん、川蝉さん、突然の横レスですみません。
文字曼荼羅はシンプルに「文化的表現」と捉えてみたらどうでしょうか?
そうすると結構他からのくだらない批判?に耐えれると思うんですが・・・・
ちょっとピントがずれてますよね。ゴメンネ。
00326 01/01/29 22:21 Eisai              経典に南無妙法蓮華経?
調べものをしていて偶々発見したのですが、
  『佛説佛名經』
に、
  南無正法華經  南無妙法蓮華經
  (大正大蔵経 T14 P221 c)
という経文がありました。
 別に法華経だけでなく沢山の仏法僧に南無がついているのですが・・・。天台の法
式だけでなく、経典にまであるのは驚きでした。Made in India. ではなさそうですが。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00327 01/01/30 11:30 なむnomoto         RE:00326 経典に南無妙法蓮華経?
  Eisaiさん
                なむ野本です
> 南無正法華經  南無妙法蓮華經
>  (大正大蔵経 T14 P221 c)
>
>という経文がありました。
  いくつ「南無」があるかgrepすると解ります。
 検索マクロでも良いですけど。1文献だけやる方法もあります。
 たくさん南無があるので、1つに絞るのも大変良い方法です。
 選擇のよさ。(^^;)
 
00328 01/01/30 17:06 Eisai              RE:00327 経典に南無妙法蓮華経?
なむ野本さん
 >   いくつ「南無」があるかgrepすると解ります。
 確かに沢山沢山「南無」があります。
 秀丸を使うと、出現回数がカウントされてわかるのですか?
 それとも画面をみて「ひい・ふう・みい・よう・・・」ってするのですか?
 天台電子仏典CD2のマニュアルをザッとみましたが判りませんでした。
 >  検索マクロでも良いですけど。1文献だけやる方法もあります。
 >  たくさん南無があるので、1つに絞るのも大変良い方法です。
 >  選擇のよさ。(^^;)
 目次に推奨!ってあるくらいですから凄いのでしょうね (^_^ ;
 残念ながら秀丸エディタはユーザーでないので、折角の労作の検索マクロをまだ
使っていません。
 秀まるおさんは、ここのネットの主催者なのに・・・
 私のエディタはDOS時代は Mifes そして Windows になってからは Akira です。
 そうですね。4000円なら秀丸エディタのユーザー登録しようかな?
 夏にシルクロードかパキスタンの旅行を企てていて省マネーモードなもんで・・
・。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00329 01/01/30 19:47 なむnomoto         RE:00328 経典に南無妙法蓮華経?
  Eisaiさん
            なむ野本です
> >   いくつ「南無」があるかgrepすると解ります。
>
> 確かに沢山沢山「南無」があります。
> 秀丸を使うと、出現回数がカウントされてわかるのですか?
> それとも画面をみて「ひい・ふう・みい・よう・・・」ってするのですか?
> 天台電子仏典CD2のマニュアルをザッとみましたが判りませんでした。
  ええと、grepして表示されたエディタに行番号があれば、
  最後の行数が、多分その回数になると思います。
  選擇のよさ、と書いたのは、天台見たいにあれこれ南無・・・
  南無・・・・と唱える良さもあるけど、1つに選擇された
  良さが逆にハッキリするのじゃないかという意味なんで、
  舌足らずです。--->大聖人様の事です。
 
> 残念ながら秀丸エディタはユーザーでないので、折角の労作の検索マクロをまだ
>使っていません。
 うむ、秀丸で無くても良いです。『大正蔵』データなら、grepだけで勝負です。
 天台CD2では、1字索引のindex.txtを開かれて、「南」を検索して、そこからタグ
ジャンプします。
 ジャンプ先のそこから南無を下検索すると、多分ですが「南無」の箇所に止まりま
す。
 そこを1行として、南無の最後までドラッグして、コピーし、別の新規画面に貼り
付けると、「南無」リストができます。
 また、1字索引の行数を引き算すれば、出現回数がわかります。
 本文を見たい行なら、そこからタグジャンプすれば本文が表示されます。
 天台CD2 に、秀丸が入っています。試用が可能ですから、お試しはいかがですか?
>旅行を企てていて省マネーモードなもんで・・
   旅行の方も捨てがたいですね。住職になるまでかも知れません。
  私は、ほとんど不可能状態です。
00330 01/08/21 01:59 ロリポップ         始めまして
始めての書き込みで、いきなり質問させていただきますが、よろしくお願いします。
実家が日蓮宗の檀家ということと、前から法華経や日蓮さんの教えに関心があるため、
次男坊で別所帯を持っている私も家に簡素な仏壇を作り、ほぼ毎日お経やお題目を唱
えています。
当地にある日蓮宗寺院には帰属しようとは思わず、自己流でやっています。
ただ勤行の際に用いる経典は「日蓮宗信行要典」(平成十二年四月八日発行)を本に
して読経と唱題をしています。
勧請文、開経偈、方便品、寿量品(自我偈)、宝塔偈、欲令衆、聖人の御妙判をニ、
三読み上げた後、運想、唱題、そして最後に発願文で締めています。
お尋ねしたいのは、@ 私は個人的には天台宗や曹洞宗でよく読まれている「我昔所
造諸悪業 皆由無始貪瞋癡 従身口意之所 一切我今皆懺悔」の「懺悔文」が好きで
あり(好きと言うと語弊がありますが)、無始以来の罪障懺悔を願いたい気持ちから
懺悔を願いたいのですが、日蓮宗でもこうした懺悔文に相当するようなものがないで
しょうか?ということです。
聞いた話しでは霊友会系教団では懺悔の気持ちを表す文を読み上げるということです。
もし日蓮宗の宗門の公式な懺悔文でなくてもかまいませんし、皆様が個人的に使用さ
れているもの、あるいは他の方が使われているのでも結構ですので、お教え願えない
でしょうか?
A 私は個人的には欲令衆や運想はあまり読みたくないのですが、要典に記されてあ
るものを好き嫌いで勝手にピックアップしたり、また勧請文の一部に当家守護のご守
護神様という一文を付け加えたりすることはよろしいでしょうか?逆にそういうこと
は厳に慎むべきことでしょうか?
B また要典の中にある序品や如来神力品、観世音普門品、陀羅尼品、普賢菩薩勧発
品は読まないのですが、それはあまり好ましくないでしょうか?
逆に私はダイバダッタ品が好きでして、これはたまに読みます。
それに加えて私は要典には記載されていない勧持品も好きですので、法華経の経典か
ら抜粋して時折読経しております。
また聖人の御妙判も要典にあるものでも読まないものもありますし、自分の好きなも
のは要典外からも引いてきて読んでいます。
また唱題や宝塔偈、御妙判を読む順序も時々変えています。
このように日蓮宗門が定めている公式の読経文を恣意的に削除したり、加えたり、順
序を変えたりして自分独自のものを作ることはよろしくない行為でしょうか?
(もちろん恣意的といっても唱題はもちろん、方便品や寿量品をはずすことは決して
ありませんが)
C 最後ですが要典の末尾にある「回向文」と「小回向」の違いは何でしょうか?
これは両方読むべきなのか、どちらか一つでよいのか、またこれも多少改変したりし
ても良いものでしょうか?
私は個人的には霊界や輪廻転生を信じており、同時に先祖や縁者の方への回向や供養
は非常に重要な行為だと考えていますのでこの回向文はきちんと心をこめて読むべき
でしょうか?
このようなことで相談できる人がいないため是非、お聞かせいただきたく存じます。
勝手を言いますが、何卒よろしくお願いいたします。 
00331 01/08/21 11:02 Eisai              RE:00330 懺悔(さんげ)文について
ロリポップさん、はじめまして。
かなりの御修行をされているようですね。
 > 欲令衆、聖人の御妙判をニ、三読み上げた後、
 法要中に読む御妙判は一節だけで日替わりにするのが一般的な習慣だと思います。
 もちろん別に間違いではありませんが・・・。
 > 私は個人的には天台宗や曹洞宗でよく読まれている
 > 「我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋癡 
 > 従身口意之所 一切我今皆懺悔」の「懺悔文」が好き
 これは、般若訳の『大方廣佛華厳經卷第四十』の一節のようですね。
 「大正新脩大藏經」10巻 No.293 P847a L16
 それ以外にも4〜5ヵ所全文検索にヒットしました。
 > 懺悔を願いたいのですが、日蓮宗でもこうした懺悔文に相当するようなものがな
い
 > でしょうか?ということです。
 相当するような簡単な懺悔文のようなものは恐らくありません。ただ、懺悔の法要
は行われます。
 「法華懺法(ほっけせんぼう)」という懺悔の法要がありますが、これは僧侶に
とってもかなり難易度の高い法要です。天台宗では伝統的な法要です。参列した檀信
徒は十分な予習をしないと退屈極まりない法要となります。懺悔の教主は普賢菩薩
で、『妙法蓮華経安楽行品第十四』を読みながら行堂(読経しながら本尊を右回りに
歩く)をしたりします。天台宗は呉音ではなく漢音で読むそうです。経典を見ながら
歩くと転びそうですが・・・(笑)
 この懺悔の法要「法華懺法」を簡略化したものに「礼法華(らいほっけ)」という
ものです。私が声明師になってから習った池上本門寺流の「礼法華」は声明主体でと
ても荘厳です。私は年忌法要など普通の法会でも、その声明を好んで唱えたりしま
す。
 一般に参列できる礼法華だと身延山久遠寺で毎月一度ほどあったと思いますが、こ
ちらは身延流の「礼法華」です。
 さて、池上流の「礼法華」の懺悔文をみましたが、下記の如くの漢文です。
    <本文>
    至心懺悔。
    我○○(弟子)与一切衆生従無始来迷失真心流転生死。
    六根罪障無量無辺。円妙仏乗無以開解。
    一切所願不得現前。我今礼敬妙法蓮華経。
    以此善根発露黒悪。過現未来三業所造。
    無辺重罪。皆得消滅。心身清浄。或障〓除。
    福智荘厳。浄因増長。自他行願速得円成。
    願諸如来。常在説法。所有功徳。起随喜心。
    回向菩提。証常楽果。命終之日。正念現前。
    面奉如来及諸聖衆。一刹那頃到常寂光。
    普願衆生倶成仏道。
  〓は補助漢字
  区点=5993 16進=5B7D シフトJIS=9E9D Unicode=8832
    <書き下し>
    至心(ししん)に懺悔(さんげ)す。
    我○○一切衆生と無始よりこのかた、
    真心(しんじん)を迷失(めいしつ)し生死(しょうじ)に
    流転(るてん)す。
    六根の罪障無量無辺。円妙の仏乗以て開解すること無く。
    一切の所願現前することを得ず。
    我今妙法蓮華経を礼敬(らいきょう)す。
    此の善根を以て黒悪を発露(ほっろ)し。
    過現未来三業に造る所の、
    無辺の重罪、皆消滅することを得ん。
    心身清浄にして、或障〓除(けんじょ)し、
    福智荘厳し浄因増長し、
    自他の行願速かに円成することを得ん。
    願くは諸の如来、常に在(ましま)して法を説きたまえ。
    所有(あらゆ)る功徳、随喜の心を起し、
    菩提に回向し、常楽の果を証せん。
    命終の日(ひ)、正念現前し、
    如来及び諸の聖衆に面奉(めんぶ)し、
    一刹那の頃(あいだ)に常寂光に到(いた)らん。
    普く願くは衆生倶(とも)に仏道を成ぜん。
といったものです。礼法華では読経唱題の前に読まれます。
 > もし日蓮宗の宗門の公式な懺悔文でなくてもかまいませんし、皆様が
 > 個人的に使用されているもの、あるいは他の方が使われているのでも
 > 結構ですので、お教え願えないでしょうか?
 読経と唱題のあとに回向(えこう)の文を読まれませんか?
 そこに、「・・・の功徳を以ては、それがし無始以来 罪障懺悔 罪障消滅ならしめ
たまえ」といったような文を普回向(願以此功徳・・・)の前に挿入するか、そのよ
うな事が載っている回向文を探すかして読まれればと思います。あるいは、『華厳
経』の「懺悔文」を入れられても意味的には教学的な問題はないと思います。ただ、
この『華厳経』の「懺悔文」が挿入された回向文を見たことはありません。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00332 01/08/22 07:54 Eisai              RE:00330 法華経読誦と法要式
ロリポップさん
 > A 私は個人的には欲令衆や運想はあまり読みたくないのですが、要典に
 > 記されてあるものを好き嫌いで勝手にピックアップしたり、また勧請文の一部
 > に当家守護のご守護神様という一文を付け加えたりすることはよろしいでしょ
 > うか?逆にそういうことは厳に慎むべきことでしょうか?
 法要式は適宜だと思います。
 欲令衆や運想を読まないことは問題ありません。そのような法要も多くあります。
 ただ、欲令衆は法華経を理解するうえで大切な法華経前半の集成です。
 迹門だなどと侮らず、意味を押さえて頂ければと思います。
 好き嫌いでお経典を取捨選択するのはよくないと思いますが、教学的な意味を踏ま
えたうえで、法要趣旨に合わせたり意味を味読するために読経する経典を選択するこ
とは構わないと思います。
 > B また要典の中にある序品や如来神力品、観世音普門品、陀羅尼品、
 > 普賢菩薩勧発品は読まないのですが、それはあまり好ましくないでしょうか?
 > 逆に私はダイバダッタ品が好きでして、これはたまに読みます。
 『如来神力品第二十一』は、日蓮宗では『方便品第二』『如来寿量品第十六』とと
もに三品経の一つで大切なお経です。
 『提婆達多品第十二』を読まれることがあるのであれば、こちらも読まれればと思
います。
 『観世音菩薩普門品第二十五』『陀羅尼品第二十六』『普賢菩薩勧発品第二十八』
は祈祷で読まれますね。「日蓮宗信行要典」に掲載されているのは、それらの経典の
一部分の観音偈、咒陀羅や普賢咒でしょう? 菩提寺の住職の指導がない限り一般に
は檀信徒が読む必要はないと思います。
 『妙法蓮華経序品第一』は恐らく冒頭部分ですね・・・。これは、ちゃんと読経指
導を受けないと難しいですよ。無理して読む必要はないと思います。
 そのうち私のホームページで聴ける読経の MP3 を増やそうと思っています。
 > それに加えて私は要典には記載されていない勧持品も好きですので、
 > 法華経の経典から抜粋して時折読経しております。
 良いことだと思います。
 『嘱累品第二十二』以後よりも、そちらを優先した方がよいのではと思います。
 > また聖人の御妙判も要典にあるものでも読まないものもありますし、自分の好き
な
 > ものは要典外からも引いてきて読んでいます。
 御妙判もいろいろ読まれているのですね。素晴らしいです。
 ただ、偽書(日蓮聖人に仮託して偽作されたもの)が多いですから注意して下さい
ね。
 > また唱題や宝塔偈、御妙判を読む順序も時々変えています。
 そんな法要の方法は初耳です。
 何か理由があるのですか?
 > C 最後ですが要典の末尾にある「回向文」と「小回向」の違いは
 > 何でしょうか?これは両方読むべきなのか、どちらか一つでよいの
 > か、またこれも多少改変したりしても良いものでしょうか?
 うちの版(昭和44年)には無いなぁ〜。
 おそらくどちらか一つよいでしょう。
 教学的な知識がおありでしたら、多少の改変は適宜と思います。
 > 重要な行為だと考えていますのでこの回向文はきちんと心をこめて読むべ
 > きでしょうか?
 勧請は淡々と読み、回向は若干の緩急強弱をつけて(気持ちを込めて)諷誦するも
のだと教わったことがあります。
 > このようなことで相談できる人がいないため
 そのように感じている人は以外と多いのでしょうねぇ。
 ただ、信仰の自己流は思わぬ方向へそれてしまうかも知れません。
 できれば、日蓮宗の法華宗の講義や市民講座などを聴講したり、仏教系大学や教育
機関の仏教学の一般向け講座を受講された方が良いと思います。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00333 01/08/22 10:46 ロリポップ         RE:00332 Eisai様、どうも有難うござ
Eisai様、始めまして。
またこのたびの丁寧かつ詳細な御説明、痛み入ります。
確認のため、いくつかお尋ねしたいのですが、まずお教えいただいた「礼法華」とい
う懺悔文は私共のような一般在家信徒が普通読むものでしょうか?
私とすれば荘厳な感じのこの文に心ひかれるのですが・・・。
> 読経と唱題のあとに回向(えこう)の文を読まれませんか?
> そこに、「・・・の功徳を以ては、それがし無始以来 罪障懺悔 罪障消滅>ならし
>めたまえ」といったような文を普回向(願以此功徳・・・)の前に挿>入するか、そ
>のような事が載っている回向文を探すかして読まれればと思い>ます。
私の所有している「日蓮宗信行要典」に載っている回向文には
『 上来勧請し奉る本門常住の三宝所尊。 法華経擁護の諸天善神等の御宝前に於て
読誦し奉る御妙判一節、唱え奉る妙玄題等、鳩むる所の功徳を以っては一天四海皆帰
妙法、末法万年広宣流布。世界平和。国土安穏。穀産豊饒にして四海楽しみを同じゅ
うせんことを。又祈る某等無始以来の謗法罪障を消滅し、信力を増進し、悪を滅し、
善を生じ、少病少悩、気力安楽、身体健全にして、現当二世所願円満と守護せしめ給
え、南無妙法蓮華経。
重ねて願わくば当家先祖累代一門六親九族有無両縁の諸精霊、法界万霊、転迷開悟、
離苦得楽、出離生死、證大菩提。別しては(本日命日、又は今晩逮夜)
に相遭う所の「戒名」霊位、坐宝蓮華成等正覚、妙法経力即身成仏、佛果増進追善菩
提、願わくば此れの功徳を以って、普く一切に及ぼし、我等と衆生と皆ともに佛道を
成ぜん。南無妙法蓮華経「三唱」 』
とあります。
Eisai様が仰るのはこれでもよろしいでしょうか?
またこの回向文の中に「無始以来の謗法罪障を消滅し・・・」と記されていることか
ら見て、この回向文には懺悔文としての意味合いも兼ねているように考えられるので
すが、ということは私が先述したような特別な「懺悔文」というものは不要であると
いう理解でよろしいでしょうか?
ずぶの素人に等しいレベルですので頓珍漢な質問になっているやもしれませんが、お
許し下さい。
質問の連続で申し訳ありませんが、さらにお聞かせ下さい。
 >欲令衆や運想を読まないことは問題ありません。そのような法要も多くあります。
 >ただ、欲令衆は法華経を理解するうえで大切な法華経前半の集成です。
 >迹門だなどと侮らず、意味を押さえて頂ければと思います。
そうですか。アドバイス感謝申し上げます。仰るように欲令衆ははずさないように留
意いたします。 
ところでEisai様、「運想」というものはどのような意味合いで唱えるものなのでし
ょうか?
「運想」という意味からしてよくわかりません。日蓮宗門のみで唱えるものなのでし
ょうか?
「運想」の内容の文意は大体つかめるのですが、どうしてこれを唱えるのか今ひとつ
不明ですので。
>好き嫌いでお経典を取捨選択するのはよくないと思いますが、教学的な意味を踏ま
>えたうえで、法要趣旨に合わせたり意味を味読するために読経する経典を選択するこ
>とは構わないと思います。
「教学的な意味を踏まえる」素養がないので恣意的、独善的に取捨選択してしまいそ
うですが、注意しなければならないですね。
「法要趣旨に合わせる」ということはどのようなことを指していうのでしょうか?
例えば御僧侶なら普段のお勤め時の読経様式、葬儀や法事時の読経様式、ご祈祷時の
読経様式・・・という使い分けのことを仰っているのでしょうか?
私は宗教とは何の関係もない業種の自営業を営む一般在家の者ですので、私にとれば
ことさら法要趣旨によって読経内容を変える必要はないのですが。
 
また最初の投稿にも書いたのですが、私は勧持品にひかれるのですが(特に二十行の
偈文は)日蓮宗の要典に記載されていない勧持品を勝手に加えて読経するのはよろし
くないものなのでしょうか?
逆に如来神力品や勧世音普門品はあまり読みません。
>『如来神力品第二十一』は、日蓮宗では『方便品第二』『如来寿量品第十六』とと
>もに三品経の一つ>で大切なお経です。
>『提婆達多品第十二』を読まれることがあるのであれば、こちらも読まれればと思
>います。
軽率でした。基本的な認識が欠けておりました。
お恥ずかしい限りです。ご指摘感謝申し上げます。 
ところで神力品を読誦する場合、手持ちの「信行要典」には神力品全文が載っている
のですが、やや長いので勤行時には末尾の偈文「諸佛救世者〜決定無有疑」のみを読
もうと思うのですが、それはよいでしょうか?
>『観世音菩薩普門品第二十五』『陀羅尼品第二十六』『普賢菩薩勧発品第二十八』
>は祈祷で読まれま>すね。「日蓮宗信行要典」に掲載されて・・・これは、ちゃん
>と読経指導を受けないと難しいですよ>。無理して読む必要はないと思います。
わかりました。有難うございます。 
>良いことだと思います。
>『嘱累品第二十二』以後よりも、そちらを優先した方がよいのではと思います。
勧持品はこれまでは全文を読み上げていますが、神力品同様、結構長文ですので、い
わゆる「二十行の偈」のみにしぼろうかと考えているのですが、その是非はいかがで
しょうか?
>ただ、偽書(日蓮聖人に仮託して偽作されたもの)が多いですから注意して下さい
>ね。
私は専門的な教学も知らず、その辺りの事情に不案内ですので偽書かどうかというこ
とは判別できないのですが、とりあえず手持ちの「信行要典」に記載されている日蓮
聖人の御妙判は「開目抄」「如説修行抄」「観心本尊抄」「聖愚問答抄」「戒法門」
「当体義抄」「身延山御書」「持妙法華問答抄」「崇峻天皇御書」「十王讃嘆抄」
「妙法尼御前御返事」「立正安国論」「報恩抄」「異体同心事」「上野殿御返事」
「法華初心成仏抄」「選時抄」「波木井殿御書」「種種御振舞御書」「諸法実相抄」
「生死一大事血脈抄」「一生成仏抄」「弥源太殿御返事」といったところです。
Eisai様はおそらくこれらの御遺文の名前を聞かれただけで、その御文の内容の
見当がおつきになると思いますし、煩雑になるのでいちいち御文の内容は書きません
が、中には「聖愚問答抄」「持妙法華問答抄」「波木井殿御書」のように同一の御書
から二箇所を抜粋してあるのもあります。
日蓮宗の御僧侶のお立場からは答えづらい質問かもわかりませんが、Eisai様の
お考えから見てこの中で是非、読むべきもの、あるいは先の偽書説の疑いの濃いもの、
あるいは教学的な重要度から鑑みて絶対的に読む必要がないもの等、差し支えなけれ
ばで結構ですのでご教示いただきたく存じます。
>そんな法要の方法は初耳です。
>何か理由があるのですか?
理由は特にありません。
ただその時々の気分といいますか、時間を見計らってといいますか、いずれにしろ私
個人の勝手な都合によるものです。
これはあまり好ましくないことでしょうか?
そしてこのたびのEisai様の御説明とアドバイスをお聞きしまして、私としまし
たら今後の読経唱題の順序は統一しようと決めました。
要典に記されてあるのを参考に私が決めた順序を列記しますと以下のようにしました。
(道場偈、奉請、三宝礼は読まない) − 勧請文 ー 開経偈 − 方便品 − 
提婆達多品(全文) − 勧持品(全文か偈文か未定) − 自我偈 − 神力品
(全文か偈文か未定) − 宝塔偈 − 欲令衆 − 御妙判一節 − (運想は読
まない) − 唱題 − 回向文 − 四弘誓願 −
(三帰、奉送は読まない)
というものにしました。
内容、順序共に妥当なものでしょうか?
また時間がない時等には勧請文や開経偈等も省略して方便品 − 自我偈 − 神力
品 − 唱題 −  御妙判一節というぐらいにしたいのですが、これはいかがでし
ょうか?
また手持ちの「信行要典」には載っていなかったのですが、確か実家の母親は読経の
最後に「今身より仏身に至るまでよく持ち奉る南無妙法蓮華経(三唱)」という言葉
を読み上げますが、これは付け加えるべきでしょうか?
 
矢継ぎ早に質問ばかりして申し訳ございませんが、ひとつよろしくお願いいたします
m(__)m.
00334 01/08/23 09:23 Eisai              RE:00333 回向文中の懺悔
おはようございます。
 > 確認のため、いくつかお尋ねしたいのですが、まずお教えいただいた
 > 「礼法華」という懺悔文は私共のような一般在家信徒が普通読むもの
 > でしょうか?
 > 私とすれば荘厳な感じのこの文に心ひかれるのですが・・・。
 別に問題ないと思います。
 > またこの回向文の中に「無始以来の謗法罪障を消滅し・・・」と記されている
 > かことら見て、この回向文には懺悔文としての意味合いも兼ねているように
 > 考えられるのですが、ということは私が先述したような特別な「懺悔文」とい
 > うものは不要であるという理解でよろしいでしょうか?
 平素は朝勤にそういった文言での懺悔ですませています。
 ただ、懺悔には
   罪の告白 (仏教においても)
   悔い改めようとする (誓願)
   罪の許しを請う
という要素があります。この回向文ではそれらが含まれていると思いませんので、
  それがし無始以来罪障懺悔罪障消滅
といった具合に、アレンジするのも良いと思います。懺悔ということに思いがあられ
るようですから。
 そして、定かではありませんが身延山では礼法華は月に一度だったと記憶しており
ます。
 > 質問の連続で申し訳ありませんが、さらにお聞かせ下さい。
 テーマ毎に少しずつ回答させて下さいね。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00335 01/08/25 16:05 Eisai              CBATA の観音経データの前に・・・
CBATA のデータを APP ファイルに変換する作業をしていて気付いたのですが、
 T09n0262_p0056c02,妙法蓮華經觀世音菩薩普門品第二十五
の前に
 T09n0262_p0198a12, 御製觀世音普門品經序
が挿入されていました。
 インデックス部のページ数を見て頂ければわかりますが、P56 の「観音経」の前に
P198 の「御製觀世音普門品經序」が挿入されているのです。「観音経」重視のあら
われなんでしょうけど、びっくりしました。データを頂いてとやかく言えませんで
しょうけど。
 台北の「菩提書局」による「法華一部経」七巻(折り本)を持っておりますが、「妙
法蓮華経妙音菩薩品第二十四」と「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」の間に
「御製觀世音普門品經序」はりませんでした。
 鳩摩羅什の原版はどうだったのでしょう?
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 |\(*^^)v  Eisai
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00336 01/08/27 23:15 なむnomoto         RE:00335 CBATA の観音経データの前に・・
  Eisaiさん
                   なむ野本です

>CBATA のデータを APP ファイルに変換する作業をしていて気付いたのですが、
>
> T09n0262_p0056c02,妙法蓮華經觀世音菩薩普門品第二十五
>
>の前に
>
> T09n0262_p0198a12, 御製觀世音普門品經序
>
>が挿入されていました。
  こりゃ変だ(^^;;
  何ででしょうね。
> インデックス部のページ数を見て頂ければわかりますが、P56 の「観音経」の前に
>P198 の「御製觀世音普門品經序」が挿入されているのです。「観音経」重視のあら
>われなんでしょうけど、びっくりしました。データを頂いてとやかく言えませんで
>しょうけど。
  でも、制作上の責任はあるはずですよね。
  今は、出張中なので9月になったら、調べて見ます。
> 台北の「菩提書局」による「法華一部経」七巻(折り本)を持っておりますが、「妙
>法蓮華経妙音菩薩品第二十四」と「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」の間に
>「御製觀世音普門品經序」はりませんでした。
>
> 鳩摩羅什の原版はどうだったのでしょう?
 もちろん、こんな所に序文をくっつける皇帝ががいたら、お馬鹿な感じ
ですね。原典自体にはあるわけがありません。序文の内容に何か書かれて
あったような気がします。
                           なむ野本
00337 01/08/30 11:00 Eisai              RE:00333 運想について
 >日蓮宗門のみで唱えるものなのでしょうか?
 運想を唱えるのは恐らく日蓮宗のみでしょう。
● 運想の出処
 明治維新のとき、日蓮宗も廃仏毀釈により存続の危機を迎えていました。そのと
き、日蓮宗を存続させるために白羽の矢が立った教学が、主流の有力な諸本山や檀林
の教学ではなく金沢の充洽園の教学です。運想はその充洽園の優陀那日輝上人
(1800‐59)が作ったと聴聞したことがあります。
 明治維新から最近に至るまで、その教学は日蓮宗の教学の中心でしたが、最近はそ
うではなくなりました。恐らく現在に大きな影響を及ぼす権威者がこう言った!とい
うことよりも、文献学的な批判に耐えられる教学を研究しているのが現在の日蓮宗の
教学者だと思います。ただ、法要式では優陀那日輝師の「充洽園礼誦儀記」が基本と
なっています。
 地方や本山ごとに違う法要式を統一するために「宗定法要式」なるものが戦前に編
纂されましたが、その基本となったが「充洽園礼誦儀記」であり、そこには運想も
入っています。
● 運想の意味合い
 > 「運想」というものはどのような意味合いで唱えるものなのでしょうか?
 先述の「充洽園礼誦儀記」(和綴じ本)をみると、
   運想に十意あり
   一に十方三世諸仏菩薩一切の三宝、道場に影現し、
   証知証鑑し給ふことを念ず。
 
   二に天井地界諸天神祇、一切の冥衆、道場に影現し、
   経音を聴受し、法楽を納受し、行者を護念し給ふことを想す。
   三に道場中一切の法器、衣服袈裟坐座堂宇、一切清浄にして
   法性の依報、寂光の宝境なることを念ず。
   四に自らの色身、全清浄法身、三千円融せる、
   微妙の覚体、無作の仏身なることを念ず。
   五に読誦し受持する妙経玄題三業の行行は、並びに是れ三世の諸仏、
   道場証得の妙法普賢の行法なりと念ず。
   六に能持能誦する念念の心は法性縁起の妙心、
   十方三世、円融無碍の浄心なりと念ず。
   七に念念の運心、声声の誦音、十方の仏土に周〓し、
   三宝を供養して仏事を縁起し、衆生を利益して、国界を厳浄することを念ず。
   八に法音周〓して、一切行者の心内に入り、色身を冥利し、
   心を浄くして身を安んじ、功徳利益無量無碍なることを念ず。
   九に道場内外、霊空地界の鬼神異類、蚊虻螻蟻飛禽獣類並びに法音に触して、
   冥益顕益、無量無碍なることを念ず。
   十に見聞博知し、往来行住する道俗衆人随喜心を生じ、信心を増し、
   善念を長し、乃至種種の冥益空(むな)しかざることを念ず。
   要を以て之を言わば、一二は仏神各応、三四は身土並浄、五六は人法倶貴、
   七八は依正兼福、九十は冥顕双益也。若し文を作て唱えんと欲せば真際の三
宝、
   護法の冥衆、道場に影現し、供養を納受し給ふ。土は是れ常寂光土の宝刹、
   身は是れ無作三身の覚体なり。所持の経法は、是れ三世諸仏、所証の境界、
   能持の信念は是れ一念三千、法界唯心なり。故に声声念念、法界に周〓し、
   三宝を供養し、衆生に布施し、仏土を厳浄し、道場内外、霊空地界の鬼神異
類、
   見聞随喜の善男善女、利益平等、功徳無尽ならん。
   底本
    「充洽園礼誦儀記」優陀那日輝著 池上学室蔵梓 明治三年 日薩校訂
     ※〓=ヘン(彳+編-糸) あまねくの意味
         補助漢字 区点=2916 16進=3D30 シフトJIS=8F4F Unicode=5FA7
     ※旧字や異体字は常用漢字に書き換えた
● 唱えるべきかどうか再考
 私も上記原文を読んだのは初めてでしたが、ロリポップさんのお陰でよい機会を得
ました。
 私は教学に疎いのですが、四の「無作三身」があたりが問題であろうと思います。
これは、現代の仏教学や宗学の双方から批判的に研究されている中古天台本覚思想の
影響があると思われます。これは「運想」本文にもあり、私自身はこれ故に「運想」
を唱えません。
 さらに、近世の日蓮宗屈指の学匠の文章といえども、日蓮聖人の御妙判を拝読する
かわりに「運想」を拝読するということはできないように思います。
 実際、この運想はあまり唱えられなくなってきました。声明師として日蓮宗の宗門
法要など大きな法要に出仕・参加する機会が何度かありましたが、昨今は「運想」を
唱えられることは少ないです。それよりも、法要趣旨にそった御妙判の一節を拝読す
ることがほとんどです。私自身は年に一度か二度唱えるかどうかです。いきなり、導
師が句頭しだすと暗記しているかどうか不安になります。(笑)
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<参考>
    運想
    唱え奉る妙法は、是れ三世諸仏、所証の境界、上行薩〓、
    霊山別付の真浄大法也。一たびも南無妙法蓮華経と唱へ奉れば、
    即ち事の一念三千、正観成就し、常寂光土現前し無作三身の覚体顕れ、
    我等行者、一切衆生と、同じく法性の土に居して自受法楽せん。
    此の法音を運らして、法界に充満し三宝に供養し、普く衆生に施し、
    大乗一実の境界に入らしめ、仏土を厳浄し、衆生を利益せん。
    (漢文)
    奉唱妙法。是三世諸仏。所証境界。上行薩〓。霊山別付真浄大法也。
    一奉唱南無妙法蓮華経。即事一念三千。正観成就。常寂光土現前。
    無作三身覚体顕。我等行者与一切衆生。同居法性土。自受法楽。
    運此法音。充満法界。供養三宝。普施衆生。令入大乗一実境界。
    厳浄仏土。利益無尽。
    漢文底本
    「充洽園礼誦儀記」優陀那日輝著 池上学室蔵梓
    明治三年 日薩校訂
   ※〓=土+垂
   ※旧字や異体字は常用漢字に書き換えた
   ※漢文の「利益無尽」部分は、現在「衆生を利益せん」と読んでいる。
00338 01/08/31 09:12 Eisai              RE:00336 観音経の偈頌の訳者
怪我の功名というか、
  『御製觀世音普門品經序』
      (T09n0262_p0198a12)
が、『妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五』の前に挿入されていることで、小さな
発見がありました。そこには、
  姚秦三藏法師鳩摩羅什譯長行
  隋北天竺沙門闍那崛多譯重頌
      (T09n0262_p0198b10)
とあります。
 「世尊妙相具〜」以下の『観世音菩薩普門品第二十五』の偈頌は鳩摩羅什の訳でな
いことは教わっていましたが、誰が訳したということは知りませんでした。知らな
かったのは私だけ?
  隋の御代(581-619)
  北天竺(北インド)の沙門
  闍那崛多が
  重頌(偈頌)を訳した
ということでしょうか?
 闍那崛多は摩笈多とともに『添品妙法蓮華経』を隋代の西暦601に漢訳した人で
す。
 だとすれば天台大師(538-597)が『妙法蓮華経』を解説した『法華文句』におい
て、観音経偈頌に言及していないということも納得できます。
 さて、『添品妙法蓮華經觀世音菩薩普門品第二十四』の偈頌
(T09n0264_p0192c03)を見ても『妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五』の偈頌
(T09n0262_p0057c09)と全く同じようですね。(ゆっくり検証していませんが)
 ということは、『妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五』の偈頌は『添品妙法蓮華
經觀世音菩薩普門品第二十四』からの移入ということなんでしょうね。
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  ̄
00339 01/09/04 19:48 なむnomoto         RE:00338 観音経の偈頌の訳者
 Eisaiさん
            なむ野本です
 ** またもや不在がちになりますけど。
>発見がありました。そこには、
>
>  姚秦三藏法師鳩摩羅什譯長行
>  隋北天竺沙門闍那崛多譯重頌
>      (T09n0262_p0198b10)
>
>とあります。
 ベリーグード!
> だとすれば天台大師(538-597)が『妙法蓮華経』を解説した『法華文句』におい
>て、観音経偈頌に言及していないということも納得できます。
 その世尊偈については、後世の挿入ということは知られていますね。
 天台大師の没後の飜譯なんだもんしょうがないですね。
 んじゃ、どうして羅什は飜譯しなかったの?原典に無かったから。
 で、「添品」が付いた法華經が必要になるわけですね。でも、
 大正蔵に元来ないものを、ここの位置に入れたのは変ですね。
> ということは、『妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五』の偈頌は『添品妙法蓮華
>經觀世音菩薩普門品第二十四』からの移入ということなんでしょうね。
  そうです。両方の世尊偈の部分を抜き出して、秀丸エディタでファイル比較する
と違いがはっきり分かります。
  片方は妙法華。
  片方は添品法華。両方のウインドウを上下に並べます。
   秀丸の「ウインドウ」「他の秀丸と内容比較」で比較できます。
   「同時スクロール」も選択しておくと便利です。
   
  
00340 01/09/04 22:12 Eisai              RE:00333 法華経のどこを読経するか
 > 「法要趣旨に合わせる」ということはどのようなことを指していうの
 > でしょうか?
 > ことさら法要趣旨によって読経内容を変える必要はないのですが。
 そうですね。
 方便品(十如是まで)、自我偈
 方便品(十如是まで)、如来寿量品(長行・自我偈)
が基本だと思いますし、それで普通は十分です。
 いろいろなお経を読んでおられるようなので、申し上げたまでです。
 ただ、習慣的に法要趣旨によってどのようなお経が読経されているかを述べると下
記の如くです。
 欲令衆
  毎日の勤行
  先祖供養、法事
 如来神力品第二十一(偈頌)
  毎日の勤行
  先祖供養
 如来神力品第二十一(別付嘱)
  先師(僧侶)の法要
 如来神力品第二十一(訓読)
  男性の法事
 提婆達多品第十二(訓読)
  施餓鬼法要、
  男性の法事(前半部分を読誦)
  女性の法事(後半部分を読誦)
 観世音菩薩普門品第二十五(偈頌)
  毎日の勤行
です。もちろん、基本的に自我偈を読誦した上での話です。
 習慣的にと申しましたが、仏教学的に考えると、いろいろ考えなくてはなりませ
ん。
 『提婆達多品第十二』は『妙法蓮華経』を漢訳した鳩摩羅什訳には含まれなかった
ことが指摘されています。また、『観世音菩薩普門品第二十五』の長行は鳩摩羅什訳
にありますが、偈頌(世尊妙相具〜)は鳩摩羅什訳ではなく、異訳の『添品妙法蓮華
経』からの挿入のようです。
 また、日蓮宗の教学的な見地からは『観世音菩薩普門品第二十五』は重視されませ
ん。実際、日蓮聖人の日蓮宗の寺院で観音様を奉っている寺院は少ないはずです。理
由は、観音様は西方極楽世界の阿弥陀如来の脇師となる菩薩で他土(娑婆世界の外)
の菩薩であること。寿量品に説かれる久遠本仏の本化の菩薩ではなく、迹化(迹仏の
教化)の菩薩であるからです。
 もっと詳しく述べれば、『従地涌出品第十五』の「止みね善男子」という冒頭部分
をみればかわります。
 他土(他方の国土)から釈尊の法華経を聴きに来た八恒河沙という数限りない菩薩
が、仏滅後の娑婆世界に法華経の布教をしましょうと進言すると、釈尊は拒否された
のです。そして、本化の菩薩があらわれます。法華経では彼らが娑婆世界で活躍する
のです。
 > 勧持品はこれまでは全文を読み上げていますが、神力品同様、
 > 結構長文ですので、いわゆる「二十行の偈」のみにしぼろう
 > かと考えているのですが、その是非はいかがでしょうか?
 9月12日の龍口法難会に龍口寺(鎌倉市)の法要に出仕したことがありますが、
2回の出仕のうち1回は『勧持品』の偈頌だけでした。そういう読み方もあってよい
と思います。
 来週ですね。もし、参詣できる場所にお住まいでしたら参加されては如何でしょ
う。
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00341 01/09/28 18:25 なむnomoto         3本法華經比較表
 Eisaiさん こんにちわ
            なむnomotoです。
  CBETAのデータが揃いました。
  近日中にお送りします。
 ngramの3本法華經比較表が出来てます。
     3本重複表 3本重複使用語句表
     3本偏出表 各本独自使用語句表
 これはメールでも送れます、要ります?
00342 01/09/29 08:22 Eisai              RE:00341 3本法華經比較表
 なむnomotoさん、おはようございます。
 季節はずれの花粉症を患っている Eisai であります。
 >   CBETAのデータが揃いました。
 >   近日中にお送りします。
 ありがとうございます。
 >  ngramの3本法華經比較表が出来てます。
 >      3本重複表 3本重複使用語句表
 >      3本偏出表 各本独自使用語句表
 >  これはメールでも送れます、要ります?
 正法華経、妙法蓮華経、添品妙法蓮華経の比較ですね。
 宜しくお願いします。ヾ(^v^)k
 でもって、ngram ってなんですか?
 Yahoo! で検索すると18歳未満お断りのサイトに着きましたが・・・。
 風吹晏名さんとかのサイトです。(^_^ ;
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 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00343 01/09/29 17:09 Eisai              自我偈に沒在於苦惱?
大正新脩大藏經をみておりますと、『妙法蓮華経如来寿量品第十六』の偈頌、いわゆ
る自我偈をみてみますと
 我見諸衆生  沒在於苦惱 ※
とありました。平素私たちが読んでいる法華経は
 我見諸衆生  沒在於苦海
です。底本に差異があるのかと思ったのですがそれを示す注記もありません。
 意味は違いませんが、羅什訳はどちらなのでしょうか?
 大正新脩大藏經は『高麗・再雕本大蔵経』を底本に中国の宋・元・明の大蔵経と対
校して編纂されたものですよねぇ?
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 |\(*^^)v  Eisai
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※ 大正新脩大藏經9巻43頁c段1行目
00344 01/10/01 21:42 なむnomoto         RE:00343 自我偈に沒在於苦惱?
 般若心経も違います。
 阿弥陀経も違います。
 法華經も違います。
 
 使用本と、大蔵経本と、同じ経典は、ほとんどないみたいです。
> 意味は違いませんが、羅什訳はどちらなのでしょうか?
 どちらも羅什訳として伝承された経典ですね。
 時代的に少しずつ変化してるらしいです。
> 我見諸衆生  沒在於苦海
 因みに、天台宗の法華經も、苦海に没在するほうです。(^^;)
 苦界でもいいか・・・・(゚o。)☆\バキッ!
00345 01/10/01 21:48 なむnomoto         RE:00342 3本法華經比較表
 Eisaiさん
           
> 季節はずれの花粉症を患っている Eisai であります。
 ふ〜ん。違うご病気じゃないの?
> >  ngramの3本法華經比較表が出来てます。
> >      3本重複表 3本重複使用語句表
> >      3本偏出表 各本独自使用語句表
> >  これはメールでも送れます、要ります?
>
> 正法華経、妙法蓮華経、添品妙法蓮華経の比較ですね。
> 宜しくお願いします。ヾ(^v^)k
 見応えありますよ。
> でもって、ngram ってなんですか?
> Yahoo! で検索すると18歳未満お断りのサイトに着きましたが・・・。
> 風吹晏名さんとかのサイトです。(^_^ ;
 ああ、それそれ! ってなんのこっちゃ。違います。
 統計処理プログラムのことです。
 日本語Sjisにも使える jperlで ngram.pl を作った方があり、
 プログラム検証を兼ねて、はっきり分かっているものから、
 出力してみました。
 百聞は一見に如かず ・・・これも送りましょうね。(^^;)
 

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